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荒井 英治 インタビュー

荒井英治氏

荒井 英治 氏 略歴


【CD「小杉太一郎の純音楽」報道記事】


池野成《RAPSODIA CONCERTANTE》(改訂版)初演でヴァイオリン独奏を務められる荒井英治氏(東京フィルハーモニー交響楽団 ソロ・コンサートマスター )に邦人作曲家作品にたいする思い、そして《RAPSODIA CONCERTANTE》についてのお話をお伺いしました。


【CD「小杉太一郎の純音楽」報道記事】




―――荒井さんといえば「モルゴーア・クァルテット 」によるプログレッシヴ・ロック作品の演奏もさることながら、これまで邦人作曲家作品をとても積極的に演奏されていますが、それはどのようなお考えからですか。


 日本の楽壇では自国の作曲家の作品を敬遠する傾向がいまだにあるんですよね。邦人作曲家にたいしてなんて冷淡なんだってことを日頃から思っています。

 そんな状態ですからどうしても一般の人達も聴くようなコンサートで取り上げられる邦人作曲家というのは、ほんとうに一部のビッグネームばかり。そのとらえ方も「世界に通用する」だとか「世界的な」というもので、結局それってコンプレックスの裏返しじゃないですか。
 何かある種商品のような感じでブランド志向というか、もうその作曲家にしか目が向けられない。その周辺の作曲家達までスポットがあてられることはほんとうに少ないですよね。

 また、邦人作品を取り上げたとしても、演奏する立場から言えばそれに魂をこめてというか、最上の共感をもって仕事をしているという人は、もちろんいないとは言いませんけれど、意外と少ないのかもしれないなあと思うんですよね。どうしても一つのお仕事として割り切ってやっているような。でもそれじゃあやっぱりいけないと思うんです。それはすべての曲にたいしていえることなんですけど、特に自国の作曲家の作品は最大級の誠意をもって演奏しなければいけない。
 そのためにもまずはちゃんと自国の作曲家の作品に触れる機会をどんどん増やさないといけませんよね。

 ところが、そういう活動というのはまず利益に結びつかない。ある程度人気を獲得しているビッグネームの場合は別でしょうけれど、そうでない場合「赤字」覚悟じゃなきゃなかなか出来ないですよね。ですからSalidaさんが制作されたCDですとか活動、しかもそれをお一人でされているということで、驚くと同時に大変共感するんですけど、やっぱりそれはやらなくちゃいけないことなんですよね。

 僕も一介のヴァイオリニストとして 多少なりともそういったことに貢献したいと思っていて、これまで邦人作曲家のヴァイオリン・ソナタ集ですとか30歳でこの世を去った作曲家 尾崎宗吉の作品集などの制作に携わってきました。

CD「昭和のヴァイオリン・ソナタ選」 CD「夜の歌 尾崎宗吉作品集成」
荒井氏が制作に携わられた
CD「昭和のヴァイオリン・ソナタ選」「夜の歌 尾崎宗吉作品集成」
 




―――そもそも荒井さんがはじめてお聴きになった邦人作曲家の作品は何だったのでしょうか。


 松村禎三の《管弦楽のための前奏曲》です。1969年だったと思います。これは僕がはじめて聴いた「現代音楽」でもあったんですけど、僕が12歳の時でしたね。

 当時、僕は桐朋学園大学の教授でいらした鈴木共子先生にヴァイオリンを習っていたんです。鈴木先生は、戦前・戦後をつうじて吉田隆子さんですとか清瀬保二さんといった作曲家の作品をたくさん初演なさっている方なんですよ。また鈴木先生のご主人は園部三郎という評論家でらっしゃるんですよね。

 ある時、鈴木先生から「私行けないからあなた行ってきなさい」とNHK交響楽団の招待券をいただいたんですよ。指揮は岩城宏之さんでした。それは僕にとって初めてプロのオーケストラを生で聴く機会で、プログラムの内容とか詳しいことは何にも知らない状態だったんですけど、とにかく聴きに行きました。

 それで最初に演奏された松村禎三 作曲《管弦楽のための前奏曲》という曲を聴いて僕はぶっ飛んじゃったんですよ(笑)。もう「なんだこれは」と金縛りにあったようになって強烈な体験をしたんですね。それが僕が邦人作曲家の作品そして現代音楽に目覚めた大きなきっかけです。
 それからいろんな外国の現代作曲家や前衛音楽とかも聴くようになりましたけど、日本の作曲家では松村禎三それから黛敏郎、この二人が好きでしたね。



―――松村禎三さんは池野成先生と作曲家仲間の中でも非常に近しい間柄でしたし、黛敏郎さんの《涅槃交響曲》を池野先生はとても高く評価されていました。なにかつながるものを感じますが《RAPSODIA CONCERTANTE》という作品の印象はいかがでしょうか。


 今回《RAPSODIA CONCERTANTE》を演奏するにあたって、過去の録音を聴いてみたんですけど、チベットの典礼音楽を模した部分があるじゃないですか。その“チベット”という点で僕は黛敏郎の《曼荼羅交響曲》のことを思い出したんですよね。もとをたどれば《涅槃交響曲》に行き着くんでしょうけど、音響的にも彷彿とさせるなあと感じました。

 仏教が日本に入ってくる時には日本の風土に合うように、ある意味洗練されて伝えられるわけですけど、そのもとになるチベットというのは、もっと荒々しくて「曼荼羅図」のように色彩豊かで強烈なエネルギーを持っているじゃないですか。そういった点で《RAPSODIA CONCERTANTE》は同質だし、またその強烈な音楽をヴァイオリン・コンチェルトのような体裁で作曲するなんてことは、これまでまったく誰も成し得ていないですよね。

 良い意味でものすごく特異な作品だと思います。



―――《RAPSODIA CONCERTANTE》を演奏されるにあたってお感じになることはありますか。


 テクニック的に難しいところはいろいろとありますね。
 冒頭のカデンツァでも重音が多くて、最後だんだんと音が高くなっていくと“ハイポジションで5度”なんてことになる。これはねえ、大変なんですよ(笑)。基本的に5度というのは一本の指で押さえるんですけど、ハイポジションになると弦の間隔が広くなるから押さえにくくなるんですよね。

荒井英治氏チェロのかまえ

 チェロぐらい間隔が広かったら、こういうふうに(↑)二つの指を並行にして押さえられるけれど、

荒井英治氏ヴァイオリンのかまえ

 ヴァイオリンだとこういうふうに(↑)潜り込ませるような感じになるわけですよ。非常に大変なんですね。はっきり言って一番嫌がられます(笑)。

 ですけど、僕がこの《RAPSODIA CONCERTANTE》の演奏にあたって、一番大変だなと思うのは、たとえばヴァイオリンが活躍するところではオーケストレーション的なバランスが非常に考えられていてオーケストラが薄く書かれていますけど、その一方でブラスや打楽器がブワーーーッと鳴る強烈なトゥッティもこの作品では出てきますよね。

 当然のことながら一つのヴァイオリンとオーケストラのトゥッティの音量には、ものすごく差があるわけですけど、なんというかその実際の物理的な音量の問題を超えて、何十人のオーケストラに対抗するだけのテンション、スタミナ、スピリットを如何にして自分の中に持つか。かといってそればかり優先して音を潰すことはできませんしね。そういったことがこの作品では一番大事だし最も大変なところかなあと思いますね。






池野成 作曲《RAPSODIA CONCERTANTE》(改訂版)初演 情報


《RAPSODIA CONCERTANTE》改訂譜を確認


《RAPSODIA CONCERTANTE》改訂内容確定


作曲家 池野成 研究活動




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