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Salida生明慶二インタビュー


(12)

渡辺岳夫『非情のライセンス』

深作欣二




―――『非情のライセンス』のテーマ曲もダルシマーが印象的ですね。


 『非情のライセンス』のテーマって、はじめは別の曲だったんですよ。今知られているあのテーマ曲じゃなかったんです。

 岳夫が最初にテーマとして書いた曲を演奏してみたら番組制作サイドから「このドラマに合わない!」ってNGが出ちゃったんだよね。それで急遽、一週間後に録音しなおすことになって、それであのテーマ曲が出来たんですよ。

 岳夫にはじめて会ったのは、銀座だったんだけど、その時あっちはどこかの楽団員になろうと思ってたらしくてスネアドラム持ってましたね。岳夫は僕と同じ学校に通ってたみたいで「私は後輩です」って言ってました。まぁ、正義感強くて好きなやつですけどね。

 それで岳夫のお父さんは、作曲家の渡辺浦人さんでしょう。

 昔から渡辺浦人さんのところには山本直純とかもういろんな人が居候して浦人さんの劇伴を手伝ってた。だからあそこの家にはいつも誰かしらそういう手伝いする人がいるんだけど、岳夫が曲書くようになって、締め切りに間に合わないなんて時には僕もみんなと一緒に曲書いて手伝うわけですよ。もうしょうがない。後輩ってこともあるし、岳夫は音楽の仕事を取ってくる営業もうまいからいつも忙しいしね。



―――生明先生は、演奏以外にも様々な活動をされているのですね。


 なんだかいろいろやってます(笑)。ある時、変わった仕事がきたこともありましたねぇ。

 映画の撮影が終わって音楽ダビングしてる現場で、ある監督が「この音楽ダメだ!」ってもう怒っちゃってね。新人の作曲家を怒鳴ってるわけだよね。
 そしたら映画会社がこりゃ大変だってビックリして、どういうわけか僕のところに「なんとかしてください!」って来たんだよ(笑)。

 それでとにかく現場に行って、その監督に「どうしたんですか?」って聞いてみたら「音楽が合わねぇ!」っていうわけ。
 もうしょうがないから一通り監督の考えを聞いて「それじゃあ、やりましょう」ってことで、どうしたかっていうと「このシーンの音楽はいらない。この旋律は厚すぎです。ここもいらない」ってどんどんカットして、音楽の印象を薄くしていったんだよね。

 映画ってのは「現実音」があって「しゃべり」があって、それから「音楽」がある。その新人の作曲家が書いてる音楽そのものは良いんですよ。だけど、映画をやるのが初めてで「現実音」や「しゃべり」が死んじゃうぐらいのとんでもなくぶ厚い曲ばっかりで映画に合わないんですよ。だからちゃんとスコアを確認しながら「これ邪魔ですね。これも必要ないですね」って無用な旋律をカットしていったんです。その作曲家は「ここ音楽無くて大丈夫ですか?大丈夫ですか?」って心配するんだけど「このシーンはピストルの音がバンバン入って画はもつから大丈夫だ」ってアドバイスして。
 それから3日目にやっとダビング作業が終わったんだけど、もう監督がすっかり喜んじゃって(笑)。僕にまでなんだか高いギャランティをくれたんだよね。深作欣二っていう監督だったけど。

 そんなことやったり、曲も書くし、なんでもやる。だからいけないんですけどね(笑)。

 「沖縄海洋博」「つくば科学万博」「なら・シルクロード博覧会」この3つの博覧会の仕事もやってるんです。
 何をやったかというと主にキャンペーン音楽のプロデュースですね。

 「なら・シルクロード博覧会」ではNHKのテーマ館を手掛けたんだけど、そしたらNHKのシルクロードに関係する番組の音楽を全部聴けってことになって。もうイヤだったんだけど(笑)、何時間も聴かされて、その後にキャンペーンのための音楽とテーマ館で流す曲を作れってわけです。まぁ仕事だから作りましたけど、なんかその音楽を収録したカセットテープが会場で売られてたらしいですね。

 「つくば科学万博」の時は「ネパール館」の仕事をやったんだけど、これにいたってはもう何もかも全部やらされて、ほんとひどい目にあったんだけど(笑)。でもネパールの国王から「会場で流れていたあなたが作曲した音楽を国に持って帰って使って良いか?」って言われてね、「ええ、どうぞ使ってください」って返事したら古めかしい壺をくれて。それで終わり(笑)。そんなこともやってました。

 まったく多角経営もいいところでありまして(笑)。






「生明慶二 インタビュー」

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