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池野成と弓削太郎


出口寛泰




(一)




男の遺体。状況から自ら命を絶ったことは間違いない。発見場所は■■■■■■■■―――男性は、静かながらも確実に日本映画界へ爪跡を残した監督だった―――





「もうテープが腐っていて、再生した途端に切れちゃうみたいですよ」


 今から約20年前、私は三重県から作曲家 池野成先生の御宅に足しげくかよっていた。
 作曲部屋兼応接室で座らせていただく一人掛けソファの後ろには、巨大なスピーカーやオーディオと共にいわゆる「6ミリ」のオープンリールテープが山積みにされていた。
 これらの録音テープは、池野先生が担当した映画音楽のマスターテープで、かつては映画会社大映が運営する大映多摩川撮影所に保管されていた。しかし、1971年の大映の倒産によって多摩川撮影所は閉鎖。同時にマスターテープも処分されようとしていたが、池野先生と親交があった録音技師 渡辺利一氏の手によって池野先生のもとに届けられ、からくも廃棄の運命をまぬがれたのだった。

 この奇跡的に救われた音楽テープを池野先生は大切に保管した―――かと思いきや、そうでもなかった。

 池野先生を知る人ならよくご存知のとおり、池野先生にとって自らの映画音楽の仕事は、生活の糧を得るため手を染めざるを得なかった不浄の行いなのである。したがってこれらの音楽テープにまったく執着が無い。
 おそらく池野宅に届けられた音楽テープは、オーディオの近くにとりあえず置かれ、とくに聴かれることもなく、ずっとそのままの状態だったのだろう。タバコの煙で燻され続けたテープケースは茶色くくすみ、そのいくつかはタイトルすら確認出来なくなっていた。

 ―――そこに不幸にして私が現れた。

 これはいったい何のテープですか?このテープは聴くことはできるのですか?―――三重県からやって来る不思議な少年が、あろうことかこれまで見ないように見ないようにしてきた音楽テープに興味を持ち出したのである。
 私の問いに池野先生は、テープはすでに再生出来ない状態になっている旨を告げ、お茶を濁した。

 そんなことがあってからしばらくの後、諸々の事情から池野先生は以前から購入していたスペインの御宅に永住権を取得したうえ移住されることになった。そして、家の整理がはじまると、こんどは池野先生までもがこの音楽テープを処分すると言い出したのである。

 ―――そこに不幸にして私が居合わせた。


「捨てるんだったら、私に保管させてください!」


 かくして巨大な段ボール3箱分の音楽テープは、三重県へと送られたのである。


大映音楽テープ保管許諾書

(画像クリックで拡大)




 音楽テープは、池野先生の言葉に反して何事も無く――テープに発生したカビを拭き取る作業は常につきまとったが――再生された。
 私は、オープンリールテープに収録されたすべての音楽をDATテープにダビングすべく1年を費やした。
 ダビングは完了し、これらのテープは現在、大映版権管理を行っている株式会社KADOKAWAの了承を得たうえでSalidaが保管を行っている。

 ダビング作業に着手した頃から徐々にインターネットが一般家庭にも普及しはじめ、音楽テープに記されているタイトルの映画作品について詳細がわかってきた。私は驚いた。これらのテープには――吉村公三郎監督作品『夜の蝶』『女の勲章』、川島雄三監督作品『しとやかな獣』、増村保造監督作品『黒の試走車』『赤い天使』、山本薩夫監督作品『傷だらけの山河』『白い巨塔』――等々、戦後日本映画黄金期の巨匠・名匠による名作・傑作の映画音楽が記録されていたのである。

 上記を含む吉村公三郎、川島雄三、増村保造、山本薩夫監督作品を軸とする映画音楽は、後に資金を貯め、たくさんの方々のご尽力を賜りCD「池野成の映画音楽」(4枚組)――現在廃盤・品切れ――として世に出すことが出来た。


CD「池野成の映画音楽」(4枚組)表 CD「池野成の映画音楽」(4枚組)裏


大映音楽テープCD化許諾書

(画像クリックで拡大)




 一方で、録音テープは残されているもののCD収録には至らなかった映画作品も当然存在する。そして、それらの作品をずば抜けて大量に監督している人物がいた。

 ―――弓削太郎である。







(一)/(二)




監督 弓削太郎を求めて


弓削太郎監督 略歴


作曲家 池野成 研究活動


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