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いつもあたヽかい人


 今、私の手許に一枚の古びた24段のスコアがある。それにはFRAGMENT pour grande orgueとあり、“オルガンの断片”とでもいえる池野成氏の昭和30年代(多分後半)の作品である。


「FRAGMENT pour grande orgue」表紙

「FRAGMENT pour grande orgue」(一部)
 「FRAGMENT pour grande orgue」(一部)


 これは大映テレビ室のN女史のプロデュースによるテレビ映画のためのもので、その頃東京には使用にたえられるオルガンは皆無と云ってよいほどだった。二日間スタッフと歩きまわり、ある教会のオルガンと決めた。決して良いオルガンではなかったが録音にとりかヽった。

 しかし楽譜をみて指がすくんで、どうにもならないのである。ペン書きで美しく書かれた楽譜にたえられない気持ちで一杯であった。まあどうにかOKが出、ほっとしたものだった。

 池野氏は私と同年1931年の生まれとお聞きし、話題が共通するものが多くしばしば対話のチャンスがあった。その大部分は音楽に関する事で伊福部門下の作曲家のお一人として造詣の深いお話しを聞く事が出来た。

 録音の現場では御不満だらけとも思われる演奏にも決して不快の面をあらわさず、常に心から演奏家をねぎらう方であった。私の楽器はクラヴィオリンという、イギリスの小さい電気楽器でNTV初期の劇伴で良く池野氏のお世話になった。

 エレクトーンという楽器が出た頃、その1オクターブのペダルを手で弾かなければならない様な事もあった。あまりにもきびしいフレーズだった。映画のダビングで指揮者を含めて殆ど演奏不可能という事もあり、池野氏の作曲という事になると皆身がまえた様な事だった。

 ある時「ホタ(JOTA)」(スペインの舞曲)がなかなか出来ない時、静かな口調ではあったが自説を決して曲げずにやって居られた。音楽に対して、後年お好きなスペインに渡られ楽しい生活をなされたと思えば素晴らしい人生の方と思われる。

 ダビングルームの出口でじっと立たれ、出て来る演奏家一人一人に、ごあいさつされている姿を思い出します。私も、もし天國の門をくぐれる様だったら門の入口で池野氏にむかえて欲しいと思います。




クラヴィオリニスト
小島 策朗




(「池野成メモリアル・コンサート」プログラム収録文章に加筆・修正を加え掲載)




小島策朗 氏 略歴




作曲家 池野 成 研究活動


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