―――国立音楽大学では高田三郎先生に師事されますね。
高田先生にはしょっちゅう怒られてましたねぇ。もうお辞儀の仕方からうるさかったからねぇ(笑)。
ちょうど私が国立に入った時にね、海兵上がりの同級生がいたの。海軍兵学校に行ってたんだけど戦争が終わったんで途中から国立に来たっていう。まぁドイツ語は達者だしね、教室に入るのでもドア開けてまず「入りますっ!」って最敬礼するわけ。もう筋金入りだから。
それに比べて私とか他の連中は「こんちわ〜」なんて言って入ってくるでしょ(笑)。だから彼が入って来る時に高田先生に呼びつけられて
「なぁ、おまえら、こういうお辞儀できねぇのか!」
って(笑)。
高田先生の指導は、たとえばピアノ曲みたいなものを書いて持って行きますよね。そうすると「弾いてみろ」と言われるから弾く。最後に「先生どうですか?」って聞くと
「おまえそう書きたかったんだろ。……それでいいんだよ」
って言われるんですよね(笑)。
それである日ね、歌曲を書いて持ってったの。やっぱりまずはピアノを弾かされたんだけど、それが終わったらね、高田先生がペンを持ってきて、私が四分音符で「タン、タン、タン」と書いてたところの最初の四分音符の横に点を打って、二番目の四分音符に旗を書いたの。つまり「タン、タン、タン」を「ターン、タ、タン」にした。そしたらガラッと曲が変わったんだよねぇ。
「ここはこうしたほうがいいな」
って、高田先生が私の譜面を直したのは後にも先にもその時1回だけ。
だから作曲っていうのは、弟子入りをお願いした時、芥川也寸志先生から言われたようにやっぱり教えるもんじゃないと。そうなんだよねぇ。
まず自分で作品をつくって「これよりこうしたほうがいい」とか批評というかたちで受けるアドバイスっていうのが作曲の勉強なのかなぁ、って後からわかりましたよね。
―――その後、芥川先生には作品を見てもらったことはありますか。
ええ、ありますよ。
たとえば国立音楽大学の卒業試験のときに書いた《ファゴット、オーボエ、ピアノによる三重奏曲》。これは芥川先生に見てもらいましたね。これは雅楽を素材にしている作品なんですよ。芥川先生になんて言われたかは、はっきりしないんですけど、譜面は探せばどっかにあるんでしょうねぇ。
―――在学中に文部省主催芸術祭参加作品として作曲された合唱曲《冬の手紙》(1959)で芸術祭文部大臣賞を受賞されますね。
最初、NHKで合唱曲の公募があって、それに作品を出したの。そしたら私が作曲した合唱曲が2曲選ばれたんですよ。
最終的に私の2曲と別の人がつくった合唱2曲の合計4つが残ったの。それでその4つの作品をNHKのラジオで放送して一般の人に審査してもらったんですね。そしたら私の《冬の手紙》が1位になったんです。
すでに出版されていた江間章子さんの詩に私が曲をつけたのが《冬の手紙》なんです。
江間さんにはその後もお宅に度々うかがって詩を書いてもらって曲を付けさせていただきました。
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「江間章子・作詞 片岡良和・作曲」作品が多数収録されている
CD「片岡良和合唱作品集」
(FOCD20017)
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CD「山内正の純音楽」
作曲家 山内正 研究活動