―――芝祐泰先生にも在学中習われていますね。
芝祐泰先生は国立音楽大学に教授として来られてたんですよ。
芝先生は雅楽を五線譜に採譜する作業をされていて、その楽譜集を出版されると言われていたので、こっちも「出来上がったら見せてください」ってお願いしてたんです。そしたら「それじゃあ、とにかく雅楽のこと習いに来い」ということになって。大学の夏休み中、毎日朝5時までに荻窪のお宅に来いって言われるのね。とにかく朝早いんですよ(笑)。
それでレッスンを受けて。レッスンっていっても向き合って勉強するっていうよりも雅楽についての雑談をして、いろんなことを教わったんですね。
たとえば「舞楽」と「楽」とではちがうんですよ。踊りの入るものと入らないものとでは雅楽の曲もちがってくる。曲によっては鞨鼓が入らないものがあるし、箏が入らないものもある。そういう仕分けや理論的なことをいろいろお聞きして、約二ヶ月通った。自分でもよく行ったと思って(笑)。
―――それを経て書かれたのが東京放送創立10周年記念事業「日本を素材とする管弦楽曲」作曲募集(TBS賞)で〈入賞〉を受賞された《抜頭によるコンポジション》なのですね。
雅楽《抜頭》は小さい頃から耳にしていた曲で、私にとって懐かしい思い出みたいなものだから、国立音楽大学に入学する時、旋律をノートに採譜して上京したんですよ。その後、幸いにも芝祐泰先生に直接雅楽を学ぶ機会を得て、益々《抜頭》の魅力にとりつかれたんですね。
最初はね、この作品を毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)に出そうと思ってたんですよ。だけど、TBS賞の方は賞金が付いてたでしょ。それでコロッと考えが変わってTBS賞に応募したの(笑)。
―――その後《抜頭によるコンポジション》は、「TBS賞 交響絵巻『日本』第1集」(東芝・JSC-1012)としてレコード化されましたね。
虎ノ門にあった東芝のスタジオでレコーディングに立ち会いました。
あの頃はステレオが一般に出はじめたばかりの時じゃなかったかなぁ。こんなでかい装置を使って、テープを横じゃなくて縦にセットしてレコーディングしてました。使うテープもふつうより幅がずっと広くて、録音中、装置がブーーーン!って唸ってるんですよ。
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「TBS賞 交響絵巻『日本』第1集」
(東芝・JSC-1012)
―――他にも《抜頭によるコンポジション》は、初演を収めた「TBS VINTAGE CLASSICS plus 」(TYCE-60014)、芥川也寸志 指揮 新交響楽団による「日本の交響作品展」(FOCD-3246)がCD化されています。
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《抜頭によるコンポジション》初演を収録。
「TBS VINTAGE CLASSICS plus 」
(TYCE-60014)
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芥川也寸志 指揮 新交響楽団
「日本の交響作品展」
(FOCD-3246)
―――大変細かい質問で恐れ入りますが、初演では曲の冒頭でホルンが“パラパ―!”と2回鳴ります。ところが「TBS賞 交響絵巻『日本』第1集」レコードの演奏では4回鳴っています。なのでこの部分を改訂されたのかと思っていたのですが、この中で一番新しい演奏である「日本の交響作品展」で冒頭にホルンが鳴るのは、やはり2回です。これは再度初稿に戻されたのかと疑問に思っているのですが。
あれはね、失敗なの。
―――失敗?!
東芝レコードの録音の時ね、最初ホルンだけで“パラパー!”って出るところで指揮者の上田仁先生が間違えて止めちゃったのね。それで間髪入れず最初からやり直したんだけど、また“パラパー!”で止めて。ホルンの鳴りが気に入らなかったのか、もしかすると「後で編集すればいい」と思われたのかもしれないけど、その後すぐに指揮をはじめて3度目の正直で最初から最後までちゃんと演奏された。
それで出来上がったレコード聴いてみたら間違えたホルンの“パラパ―!”が入ったまんまだったの。ほんとは最初のホルン2回をカットしなくちゃいけない。でもレコードの録音も何回か聴いてみると「……これもありか」って。音楽ってそんなもんかなって思ってね(笑)。そのままにしたんです。
―――長年の謎がとけました。
よかったです(笑)。そうね、もう上田先生もいないし、当時の東芝のスタッフもいないし、そういうこと知ってるの私だけになっちゃいましたねぇ。
―――あと、もう一つだけ。《抜頭によるコンポジション》第三章アレグロの最後はオーケスラトゥッティで“チャンチャカチャンチャカチャン!”というフレーズで終わりますが、「日本の交響作品展」では“チャンチャカチャンチャカチャン!”が無くなって、その直前で第三章が終わりますね。
あれはね、もう本番間近の時でしたけど指揮の芥川先生と話し合ってね、「第三章は“チャンチャカチャンチャカチャン!”を無くしてパッと終わるようにした方が良いんじゃないか」って二人で決めたんですよ。
《抜頭によるコンポジション》の最終章っていうのが第三章の省略された繰り返しで、こっちも最後“チャンチャカチャンチャカチャン!”で終わるもんだから、2回同じフレーズで終わるよりも最後に1回だけ使う方が曲全体が終わったって感じがする。そこを変更しようって芥川先生と打ち合わせしたのは記憶ありますね。だからその部分は初演や他の演奏とは全然違うんです。
―――第1回TBS賞では山内正 作曲《陽旋法に拠る交響曲》も同じく〈入賞〉を受賞していますが、山内正さんのことは御存知でしたか。
山内さんはね、その前から知ってました。………あれ?なんで知ってたのかなぁ。少なくともTBS賞の時は初めてじゃないですよ。
最初は何してる人かわかんないっていう感じで、曲書いてるわけじゃないし、どっかの学校に行ってるっていうわけでもないしね。不思議な人だなっていう印象でしたね。
―――お互いTBS賞〈入賞〉を受賞された時には山内正さんと何か話されましたか。
しゃべりました。お互いの曲の批評ですね。
彼のオーケストラの鳴らし方がね、私は気に入ったんですよ。低音の使い方がうまかったですねぇ。ずっしりとしたね。あれが非常に印象に残ってね。
私の作品のオーケストレーションってなんかチャラチャラし過ぎなのね。だからそれ以後、私は山内さんの影響を受けたのか、ああいう《陽旋法に拠る交響曲》みたいなどっしりした音楽を書きたいなぁと意識するようになったんです。
―――TBS賞を受賞されて反響はありましたか。
ありましたね。受賞作はラジオで放送されますから色々な方に聴いていただいて、たとえばその放送を聴いて舞踊家の橘秋子さんが私にバレエの音楽を委嘱されましたね。
TBSから「橘秋子さんが会いたいと言ってるから来てくれ」って電話がかかってきて、橘さんにお会いしたら『飛鳥物語』という作品の音楽をやってほしいと。それからオーケストレーションも含めて完成まで一年はかかってます。以前、バレエの稽古のピアノ演奏をしたことがあったので、バレエの形式は知ってましたから作曲出来たんですよね。
その後にはTBSの芸術祭参加番組で交響曲《黒潮》っていうのを書いてるんですよ。今は譜面も手元に無くてどんな音楽書いたのか忘れちゃってるんですけど、その時のディレクターは音楽評論家の門馬直美さんでした。
その頃ですよ。 アラム・ハチャトゥリアンに会ったのは。
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