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クラウス・プリングスハイム(1883年~1972年)company



バイエルンに生まれる。

少年時代より楽才を発揮し、わずか13歳で最初の管弦楽曲を作曲。
ミュンヘン大学で数学・物理学を学び、その後ウィーンに出て、ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督を務めていたグスタフ・マーラーに指揮を学ぶ。

1907年よりジュネーヴ、プラハ、ブレーメンなどでオペラ指揮者を務め、1918年よりベルリンに定住。マックス・ラインハルトの共同作業者として舞台音楽の作曲や指揮、その他音楽批評などを行う。

1931年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)に作曲理論およびオーケストラ指導者として着任(1937年辞任)。教員、学生、卒業生、陸海軍軍楽隊員で構成される東京音楽学校管弦楽部を指揮し、ワーグナー《ローエングリン》第一幕、リスト《ダンテ交響曲》、ブルックナー、マーラーの交響曲など数々の大曲を取り上げた。

1937年、タイ王室に招かれバンコクの芸術院で西洋音楽の教授に着任。

1939年春に再来日。第二次世界大戦後は、進駐軍のために接収されたアーニー・パイル劇場(現・東京宝塚劇場)の指揮者となる。

1946年に渡米するも1951年、日本永住の決意を固め再々来日。後に武蔵野音楽大学教授に就任する。

その生涯は日本におけるクラシック音楽の普及・定着に尽力するとともに、日本人音楽家の育成に多大な貢献を果たした。

プリングスハイムの門人には、安部幸明、市川都志春、大森盛太郎、尾高尚忠、金子登、川辺真、清瀬保二、呉泰次郎、須賀田礒太郎、高田三郎、田中昭徳、田村徹、長谷川良夫、平井康三郎、藤山一郎、柳田孝義、 山田和男(山田一雄)、渡鏡子 などがいる。



「作曲家 田村 徹 インタビュー」

CD「山内正の純音楽」

作曲家 山内正 研究活動


      
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