《クリプトガム》作曲当時の松村禎三氏
(撮影:小杉太一郎 写真提供:小杉家)
田端さんのバンドでクラヴィオリンを購入してからは、クラヴィオリンが流行ったこともあって、演奏する曲にもよるけど、ピアノより断然クラヴィオリンを弾く方が多くなりましたね。それで、引き続きバックバンドの中でクラヴィオリンを弾いていたら、ある日突然、事務所に
「松村禎三という人の《クリプトガム》という作品を演奏するから来て欲しい」
って依頼が来たんですよ。
《クリプトガム》の楽器編成の中にはクラヴィオリンが入ってるから、クラヴィオリンが有る所を探してたんだね。
でも、“松村禎三”とか“クリプトガム”って言われても、こっちは何が何だかわからない(笑)。
それでも、あの頃ヤマハホールがやっと出来た頃で、ヤマハホールの練習場で練習するから、って言われたから練習に行ったんですよ。
行ってみたら、なんか嫌な顔した指揮者がいるんだよね。よく見たら山本直純なわけ(笑)。
それで練習が始まったんだけど、こっちはそれまで歌謡曲の4分の4、4分の2、4分の3、よくて8分の6の拍子の譜面しかやったことがないんですよ。それがいきなり、現代音楽の8分の3だ、8分の7なんて譜面見せられてもわかんない(笑)。
そうすると山本直純が「何やってんだ!!」とか「ちゃんと学校出てんだろ!!」って、言葉つきは悪いし、大きな声で指摘するんだよね(笑)。
結局、僕にはとても演奏出来ないから降ろさせてください、って言ったんですよ。でも、どうしてもクラヴィオリンが無いと困るんだ、っていうことなもんだから、楽器だけお貸しして、演奏は他の方にお願いしてもらうようにしたんです。
その後、1969年にキングレコードから出た「池内友次郎の音楽とその流派」というレコードの中に《クリプトガム》が収録されることになって、また僕の所に依頼が来たんですよ。
その時には、こっちもちゃんと現代音楽の難しい拍子が弾けるようになっていたから、レコーディングに行ったんです。
それで、久しぶりに松村さんと話したんだけど、
「初演の時はオロオロしていて、私も気の毒に思いながら見ていたんだけど、ずいぶん小島さんも進歩したもんだ」
って、もうはっきり言われちゃうんだよね(笑)。
2001年にCD化された「池内友次郎の音楽とその流派」(KICC354-6)
(画像クリックで拡大)
2000年には、「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」という一連の演奏会の中で、《クリプトガム》を紀尾井ホールで演奏しました。
本番には体調を崩されて松村さんは来られなかったんだけど、ゲネプロには来られたんですよ。
その時に、僕の顔を見て
「メンバーの中にこういう人の顔を見るとホッとする」
って言われてね。
「それって結局、“年取ってる”という意味じゃないですか」
って言ったら、笑ってましたけどね(笑)。そんな風に和気靄靄でしたね。
CD「Concert:20-21 日本の作曲・21世紀へのあゆみ 12」
まあ、そんな調子で《クリプトガム》初演の件が何とか片付いた時には、やれやれこれで現代音楽の作曲家なんてのとは縁が切れた、と思っていたんですよ。でも実際は全然違ってたんだよね(笑)。
※
2020年現在、写真のクラヴィオリンは故障のため、音が出ない状態です。
小島策朗 Salidaインタビュー
(6)/(7)/(8)
「小島策朗 Salidaインタビュー」TOPページ
「いつもあたヽかい人」
「小杉さんの思い出」
Salidaインタビュー集