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小杉太一郎さんと私


 小杉太一郎さんとのおつき合いは1953年から始まった。それまでは藝大作曲科の先輩後輩として、時折大学でお目にかかっていた。

 この年は小杉さんの卆業の年で、体育の単位充足のため、芸大が計画した榛名湖でのスケート合宿(3月1~2日)に小杉さんは参加され、私も同じく参加した。
 その前に、これも卆業単位のために火曜演奏会(2月3日奏楽堂)で小杉さんは、作品「ラ・トレスカ・バルバラ」を発表され、私は小杉さんの音楽を初めて聴いたのである。この曲は汎アジアの様式で書かれていて、伊福部昭先生の影響を感じさせた。また、小杉さんが毎日音楽コンクール(現 日本音楽コンクール)に提出され1等賞となった作品「六つの管楽器の為のコンチェルト」は、フランス近代音楽の手法の延長上にあるスタイルで書かれていた。
 CD「小杉太一郎の純音楽」企画の実現が是非とも望まれる。

 こうして身近に親しみ始めた小杉さんは気さくな、人にわけへだてのない快活な人柄だった。

 この時代は日本が戦争の影響から脱しつゝあり、日本の文化全体が飛躍期を迎えつゝあり、映画が隆盛し、創作舞踊がバレエと共に活動をはじめ、音楽が求められていた。 そしてこの時代は小杉さんの飛躍の時期にもあたっていた。この戦後の文化全体の上げ潮に乘って、小杉さんは映画音楽家として社会的にデビューを果たされたのである。

 この飛躍期の活動の皮切りは、師匠の伊福部昭先生であった。石井漠の創作舞踊「人間釈迦」の作曲がすゝみ、私は小杉さんに連れられて、初めて尾山台の先生のお宅に伺い、10月18日から、小杉さんと泊り込みで、オーケストラスコアからパート譜を作る作業のお手伝いを始めた。あとから池野成さん、三木稔さんも参加した。写譜がすゝんで第1幕が24日に録音され、第2・第3幕は29日に録音された。当時はまだコピー機はなく、絃楽器のパートの複製もすべて手書きであり、写譜にはオーケストラスコアの読譜力が必要だった。仲間うちによる相互協力がこうして始まったのである。作曲学生であった私はこうして創作の現場に身を置いて、大きな刺戟を受けることが出来たのである。


永冨正之氏(1955年12月6日)
小杉宅での永冨正之 氏
(1955年12月6日 撮影:小杉太一郎)


 次に池野成さんが東京交響楽団から委嘱を受けた管絃楽曲「ダンス・コンセルタンテ」のパート譜作りが続いた。11月23日から始まり、下北沢の池野さんのお宅に行き写譜をした。小杉さん、三木さんも応援に来て手伝った。「ダンス・コンセルタンテ」は12月10日に東京交響楽団定期演奏会で初演された。

 踵を接して11日から小杉さんが音楽を担当した映画「この太陽」の作曲が始まった。徹夜の写譜がつゞき、練馬の大泉学園の東映撮影所まで出向いて写譜をした。12月21日 に小杉さん宅で完成祝いをした。

 こうした一連の流れの刺戟を受けて、まだ「ひよこ」に過ぎなかった私も1954年の毎日音楽コンクールに管絃楽曲「アレグロ・ドゥ・コンセール」を、今度は皆さんに手伝っていただいて提出した(第3位)。この年の10月11日には小杉さんの結婚式があり、新橋の料亭「新喜楽」での披露宴にわれわれも招かれて出席し、新婚旅行に出発する小杉夫妻を東京駅に見送った。
 
 こうした一連の創作活動の掉尾をかざったのは伊福部先生のシンフォニア・タプカーラであった。アメリカでの初演に向けて、スコアを3部とパート譜一揃いが必要であった。こうして1954年11月19日より始め、29日までスコアの写譜を、12月19日より30日までパート譜作りに全力をあげたのである。

 年が明けて、小杉さんの日常化した映画音楽の作曲がつゞき、お手伝いがつゞいた。が、私は卆業を控え、その準備に追われ始めた。それでも時折お呼び出しがあり、徹夜でお手伝いをした。

 こうしたお手伝いの場は、伊福部先生のお宅では応接室と、それに続いた先生の仕事場で、応接室は博物館の一室のように民俗楽器にかざられていて、先生の大きな仕事机の前はガラス窓越しに広い庭に面していて、当時の東京の住宅では別天地の観があった。

 小杉さんのお宅では居間とそれに接した小杉さんの仕事場であった。和室の居間には「切炬燵」があって、そこが写譜の場であって、仕事場では小杉さんが景気をつけて駄洒落を飛ばしながら仕事を続けられていた。居間は仕事のないときは小杉さんの御両親をまじえての麻雀の舞台ともなった。

 われわれにとっては仕事のお手伝いの場でもあり、同時に仲間の交流の場であり、意見交換の議論の場でもあったのである。


東京藝術大学名誉教授 作曲家
永冨正之




※ 文中の年月日は、当時使用されていた手帳と照らし合わせ、特に正確を期して御執筆くださいました。





永冨正之 氏 略歴





小杉太一郎 研究活動

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