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黛 敏郎(まゆずみ・としろう)略歴privacy policy


作曲家 黛敏郎
写真使用許諾:黛りんたろう


1929年、神奈川県横浜市に生まれる。

1945年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)作曲科に入学。橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭 等に師事する。その才能はすでに在学中から周囲に衝撃を与え、作曲科卒業作品《10楽器のためのディヴェルティメント》(1948)で戦後音楽界に輝かしいデビューを果たす。

1950年、松竹映画『帰郷』(監督:大庭秀雄)の音楽で第5回毎日映画コンクール音楽賞を受賞。また、同年作曲の《スフェノグラム》は、翌年のISCM国際現代音楽祭に入選し、作曲者に国際的名声を与えた。

1951年、フランス政府給費留学生としてパリ国立音楽院に留学。トニー・オーバン等のクラスに入るも、そのヨーロッパの伝統的技術を極めることに特化された指導に疑問を感じ、1年で帰国する。帰国後は、留学中に吸収した前衛的技法を用いた《ミュージック・コンクレートのための作品“X、Y、Z”》(1953)をはじめ、日本初の電子音楽《素数の比系列による正弦波の音楽》(1955)等、戦後最先端の手法を真っ先に取り入れた作曲を展開していく。

1953年、芥川也寸志、團伊玖磨と共に「3人の会」を結成し、同会演奏会で《饗宴》(1954)、《トーンプレロマス55》(1955)、《涅槃交響曲》(1958)、《曼荼羅交響曲》(1960)を発表。

1957年、諸井誠、柴田南雄、入野義朗らと共に吉田秀和を所長とする「20世紀音楽研究所」を設立。日本での「現代音楽祭」開催に尽力する。

1964年より、TV番組『題名のない音楽会』の企画・司会を約33年間に渡りつとめる。

1977年、東京藝術大学作曲科非常勤講師に招かれたことを契機に、以後、後進の指導にも携わるようになる。

1986年、紫綬褒章を受章。

生涯を通じ、管絃楽、バレエ音楽、カンタータ、オペラ、室内楽、器楽曲、合唱曲、歌曲そして映画音楽に至るまで幅広い分野の作品を発表した。

《涅槃交響曲》(1958)と《BUGAKU》(1962)で2度受賞した尾高賞をはじめ、4度受賞の毎日映画コンクール音楽賞 等、受賞多数。

1997年4月10日歿。




令和3年度(第76回)文化庁芸術祭参加作品

■令和3年度(第76回)文化庁芸術祭参加作品一覧■

Salida・CD「黛敏郎の雅楽 昭和天平楽」ジャケット表

指揮:伊左治 直   伶楽舎


初演から47年の歳月を経て舞台蘇演された黛敏郎《昭和天平楽》音源を、蘇演実現に導いた片山杜秀氏のお話と共に初CD化。

〔音源提供:公益財団法人サントリー芸術財団〕

〔制作協力:黛りんたろう〕


JASRAC許諾番号:R-2150233JV  DESL-017  ¥3,630(税込)



【収録内容】




タワーレコード HMV 他



【CD「小杉太一郎の純音楽」報道記事】



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CD「黛敏郎の雅楽 昭和天平楽」収録内容





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