池野先生は肉も食べたが野菜も食べた。
池野先生によれば「同じサラダでも豪快に盛られたものでないと見た目からして食べる気がしない」とのこと。
「磬子(けいす)」という仏具があるが、ちょうどこれと同じぐらいの大きさ・形状の陶器が食器棚にあり、サラダはこの器に入れようということになった。
水洗いしたレタス・トマト・玉ねぎを適宜カット・スライスし、野菜水切り器へ投入。
私は野菜水切り器というものを池野先生の御宅で生まれて初めて使用した。
プラスチックでできたザル状のバスケットに野菜を入れ、それを隙間の開いていないもう一回り大きなバスケットの中にセットし蓋をする。蓋についているハンドルを回すと内側のザル状バスケットが同様に回転して、遠心力により水が外側のバスケットへ飛ばされる。
私は世の中にこんな便利なものがあるのかと感動し、なんだか貴族のような気分になった。
「モロゾフのチーズケーキっていうのは美味いんですよね。」
池野先生がメモを書きながら言った。
チーズ好きの池野先生は、お見舞いでもらったモロゾフのチーズケーキが気にいったようだ。池野先生がお菓子を欲することは極めて珍しい。
池野先生と食べたのは、二口ぐらいで食べ終わりそうな小さいサイズのものだった。
誕生日―――。
この頃は自分の誕生日になってもあまり嬉しいと感じない。そういう年齢になってきた。
そういえば小学校の頃、担任の先生が言っていた。
「大雪が降った後、竹はどういうふうになっている?雪が積もってグニャ~と曲がっているけど、ポキッと折れてはいないだろう。あれは竹に『節目』があるからだ。『節目』があるから折れずに雪の重みに耐えられる。だから人間も正月や大みそかや誕生日とかの『節目』を作って、ポキッと折れないようにしているんだ」
―――節目。
そういえば誕生日にはなんとなくケーキを食べることになっている。ここはひとつモロゾフのチーズケーキを食べて節目をつけよう。
※
これ「レア・チーズ」の他には何がありますか?えぇ、あぁ「ゴ―ダ・チーズ」と「エダム・チーズ」。あっ、店舗によってはもっと違う種類がある。ふーん、えぇ、あっ、もう11年ぐらい前に食べたきりなんですけど、前は丸くなかったですか?あぁ、二年前から四角くに…。いや、誕生日が近いんで、なんとなく……、えっ、バースデーケーキ?いやいやもうその一番小さいやつで充分です。はい、それ。あの、自分で言うのもなんですけど、私、非常に安上がりな人間なんです。えぇ、はぁー、それぞれ二個ずつのセット…。あぁ、じゃあ、それお願いします。
※
「暑くなってクーラーが無かったら、それこそ死んじゃいますからね」
池野先生の御宅はクーラーが故障していた。
7月中旬にクーラーを購入した池野先生は、新しいクーラーが到着した後、間もなく二度目の入院。退院することなく8月13日に亡くなった。
池野先生が新しいクーラーの風にあたったのは三週間にも満たないだろう。
しかし、この連日の猛暑を体感すれば確信できる。入院するまでのわずかの間でも、涼を提供したクーラーは間違いなく良い買い物だった。
功さんの奥様から電話が掛かってきた。
「今日は、成さんの命日で、あなたの誕生日で…」
記憶力のすさまじい功さんの奥様。斎藤寅次郎監督に可愛がられ、かつてエノケンこと榎本健一とも共演した女優さんである。
大船長 功さんは、この11年間「ロト6」の研究にいそしんでいるという。研究の成果が大いに待たれる。
あの夏と今年のどちらが暑いのかは、よくわからない。いや、やっぱり今年の方が暑いのだろう。
今日は恵みの雨かと見上げれば、雲の隙間から青空が顔をのぞかせている。まだまだ猛暑は続くのだ。
そして私は、クーラーのきいた部屋でモロゾフのチーズケーキを一気に六個食べ、なんだか貴族のような気分になった。
「モロゾフのチーズケーキ」(一)/(二)
池野成 研究活動