―――山内正さんとお知り合いになられたのはどのような経緯からですか。
おそらくお兄さんの山内久さんに「弟は音楽をやるんだよ」って、正さんの《陽旋法に拠る交響曲》のレコードを聴かせてもらったのが最初なんじゃないかなぁ。なかなか良い曲だと思いましたよ。
それで私が監督した『雪の降る街に』(1962年 大映)という映画の音楽を山内正さんにお願いしたんです。
一緒に仕事をしてみると山内さんは非常にまじめな人でしたね。
山内正氏・長男 弘さんと村野鐵太郎監督。
お二人がお会いになるのは山内正氏の葬儀以来、実に35年ぶり。
―――山内家には村野監督が贈られた棟方志功の板画が今も大切に飾られています。
ああ、そうですか(笑)。
あれはどういう経緯で手に入れたかちょっとはっきりしないけど、山内さんの結婚記念か何かで差し上げたんじゃなかったかなぁ…。
増村保造監督の助監督を一緒にやっていた臼坂禮次郎の妹さんと結婚されたんですよね。
山内正さんには私の長男が生まれた時に「五月人形」をいただいて、それは今でもずっと飾ってありますよ。見ますか(笑)。
山内正氏から贈られた「五月人形」
―――山内正さんが亡くなられて今年で35年目になります。
もうそんなに経つのですね。
今回制作されるCDで山内さんの作品に目が向けられる機会が増えるといいですね。
完成を楽しみにしています。