本文へスキップ


 

南美川洋子Salidaインタビュー

南美川 洋子 氏 略歴




(2)



―――その後、南美川さんを含め、渥美マリさん、八代順子さん、津山由紀子さん、水木正子さんのいわゆる「大映五人娘」のみなさんと作品に出演される機会が多くなりますが、それぞれの方の印象はいかがでしたか。


 マリはね、唯一同い年で、五人の中では私とマリが一番年齢が下だったんです。あの頃17歳。
 私はいたってふつうの高校生だったんですけど、かたやマリは同い年なのにこうも違うものかってぐらい本当に大人で色っぽくて。爪がね、17歳なのにこんなに長いんですよ(笑)。真っ赤なマニキュア塗って。
 それで化粧バックからえんじ色のラークを取り出して、箱をポンポンッ!ってやって、一本だけ抜いて、スパーッ!って(笑)。それがまたすごくカッコイイの!憧れちゃうぐらいカッコイイ。
そんなふうにキャラも全然違うんですけど、やっぱりお互い年齢も一番下で同い年だったので五人の中ではマリが一番仲良かったんですよ。

 順子(愛称:順ペイ)はね、高知の人なんです。だから時々高知弁が出て。
 彼女はいつも率先してなにかをやってくれる人。ちゃきちゃきして五人の中で一番弁が立つし、いわゆる「おきゃん」なタイプで映画に出てるあのまんまです。

 津山由紀子さん(愛称:キー子)は、あの五人の中でマイペースを一番貫いてるかな。私たちみたいな子どもとは違う大人の雰囲気でした。

 水木正子さん(愛称:マコ)はね、あの人はやっぱり綺麗な人で。おとなしいんだけどものすごく芯が強そうなタイプ。わりと「我関せず」みたいなところもあったんですよね。

 ですからみんな個性がそれぞれ違うんで、おもしろかったですよ。
 私もそうだし、マリもそうだし、みんな高校生なんだけど学校行ってないから、本当に現場が高校みたいな感じで。監督が先生だったり、スタッフさん達も仲の良いお兄さんみたいだったりで、本当に仲良く和気あいあいとしてました。



―――「大映五人娘」のみなさんは、同時期に大映で活躍した帯盛迪彦監督の作品にも度々出演されますね。


 帯盛先生はお仕事させていただいた監督さんの中で年齢が一番若かったと思うんですね。そういうこともあって、とても親しくさせていただきました。
 帯盛先生はすごく愛妻家なんですよ。いつも御夫婦で仲良くって、帯盛先生のお弁当に奥様が卵サンドイッチを手作りされるんですけど、それがもうメチャクチャ美味しくって。みんなで食べちゃう(笑)。けっきょく帯盛先生の食べる分が無くなっちゃうんですけど、それでも喜んで見ててくれるっていう方でしたね。
 外見は目がこんなに大きくって。大きいがゆえにまつ毛が長くて目もちょっと血走ってるんですよ(笑)。だから迫力があって怖そうに見えるんですけど、ものすごくやさしい。撮影の時も全然厳しくなかったです。


『与太郎戦記』フランキー堺と共に。

『与太郎戦記』フランキー堺と共に。




―――弓削太郎監督の映画『与太郎戦記』(1969年 音楽:池野成)ではフランキー堺さんと共演されますが、フランキー堺さんはどのような方でしたか。


 私はフランキーさんにものすごく可愛がっていただいたんですよ。
 生まれてはじめてベンツというものに乗せてくださったのがフランキーさんなんです。『与太郎戦記』の撮影期間中、フランキーさんのベンツで横浜までドライブして、当時「横浜グランドホテル(現・ホテルニューグランド)」って呼んでましたけど、そこのレストランでこれも生まれてはじめて「ディナー」というものをお食事させていただいて。それでまたベンツに乗っけてもらってビューン!って帰って来る(笑)。その後も何回か横浜に連れて行っていただいたんですけど、横浜がお好きだったみたいなんですよね、フランキーさんって。

 そのドライブっていうのはフランキーさんとまったく二人っきりなんです。最初はちょっとビックリしたんですけど、フランキーさんはそんな変な人じゃないと思ってましたし、実際、フランキーさんは本当に紳士でした。
 たとえば撮影で京都に行くってなると、「洋子ちゃんね、京都行ったら俳優の○○は女性に手が早いから気を付けなさいよ!」って周りから散々言われるんですけど(笑)、フランキーさんにたいして誰もそんなことは言わない。あれでなんか手でも握ったりしてきたら「なによ、そういうこと!」ってなりますけど、いっさいそんなことはありませんでした。だからよけい素敵なんですよね。

 でも、撮影になると、フランキーさんの頭越しに私が演技するっていうシーンがあったんですけど、フランキーさんは頭だけ映ってればいいもんだから、私が演技してる最中にいろんなことして笑わそう笑わそうとするんですよ。こっちは笑いそうになるのを我慢するんですけど、そうするとふつうにセリフが言えなくって。もうね、そういういたずらばっかりするの(笑)。

 『与太郎戦記』の撮影が終わる頃だと思うんですけど、ご褒美にってお店で私に好きな“金のブローチ”を選ばせてくれて、それをプレゼントしてくださったんです。ですから改めてものすごく可愛がっていただいたんですね。あんなやさしい方がいらっしゃらなくなっちゃって本当にさびしいです。

 『与太郎戦記』には春風亭柳橋さんや柳家金語楼さん、他にも大ベテランの方達がたくさん出演されて、撮影の時はみんなワイワイやってました。この作品の時はすっごく楽しかったですね。



―――同じく弓削太郎監督作品『ある女子高校医の記録 失神』(1969年)には殿山泰司さんが出演されていますが、殿山さんとの撮影はいかがでしたか。


 すごい絡みでしたよぉ!もうね、アザだらけ(笑)。

 殿山さんに襲われるっていうシーンがあったんですけど、私、本当に恐くていやだったから(笑)。役柄で殿山さんがいやらしいオーラを出せば出すほどいやなわけですよ。今思えばこちらが演技しやすくしてくださったのかなとも思うんですけど(笑)。
 畳の上を全速力で走って逃げるんです。やっぱり畳の上って滑るし、しかも部屋は狭いですから、そうするとあちこち擦って血だらけになるんですよ。畳でケガすると痛いですしね。さらに打ち身はできるわであの時は傷だらけでした。
 でも、それだけ本当に相手役を嫌がらせるという意味では殿山さんはやっぱり役者として立派な方だったんだなあと思ってます(笑)。

 他にも別の映画で田武謙三さんに襲われるってシーンがあって、あれもいやだったなあ(笑)。本当にいやだった。あるトークショーでもそのことをお話ししたら、会場のみなさん「あ〜〜〜っ!!」って納得されて大爆笑でした。



―――『ある女子高校医の記録 失神』には大泉晃さんも出演されていますね。


 大泉晃さんは可笑しかったですよ(笑)。もうふだんからああいう感じですから。気持ち悪いし(笑)。たしかめちゃくちゃロリコンなんですよね。それでそのロリコンを隠さないんですよ。当時の奥様もすっごく若い方で。今でこそ何十歳下の奥さんてけっこうふつうですけど、あの頃は犯罪ですよね(笑)。大泉さんからしてみれば、当時の私たちでも歳がもう行き過ぎてるんですよ。もっともっとちっちゃい子が好きだから(笑)。


京マチ子との貴重な御写真

女優 京マチ子との貴重な御写真






―――弓削監督が亡くなられたのをお知りになったのはいつ頃でしょうか。


 訃報が報道されている頃、リアルタイムでは全然知らなかったんです。大映を辞められたことも知らなかったですから。結局どういう流れで知ったのかはっきりしないんですけど、かなり後になってから知ったんだと思います。
 亡くなったってお聞きしたときは、ただただびっくりしちゃって。繊細な方だったんでしょうね。“大映愛”が強い方だったから大映が無くなったのがショックだったのかと思ったりもしますが、詳しいことはわかりませんね。



―――御出演された弓削監督作品に流れる作曲家 池野成の音楽についてはどうお感じになられますか。


 作品がはじまると最初に大映マークが出て、あの独特の音楽が鳴るじゃないですか。もうそれを聴いただけで、懐かしい気持ちでいっぱいになります。そういう意味でも映画音楽ってやっぱりすごく大事だと思います。
 生の楽器で演奏されているのも素敵ですね。今と比べたらとても贅沢なことですし、音色からなにか昭和らしさを感じます。

 その弓削太郎監督作品の音楽テープが処分されずに今まで保管されていて本当に良かったです。「お宝」ですね!


南美川洋子さん握手





【CD「小杉太一郎の純音楽」報道記事】





中島賢様

本取材の実現には、かつて大映九州支社宣伝課長を務められた中島賢 様のご尽力を賜りました。心より御礼申し上げます。



中島賢著『スタアのいた季節 わが青春の大映回顧録』(講談社)

中島賢 著
『スタアのいた季節 わが青春の大映回顧録』
(講談社)







(1)/(2)






「南美川洋子 Salidaインタビュー」TOPページ


監督 弓削太郎を求めて


Salidaインタビュー集


作曲家 池野成 研究活動




inserted by FC2 system