第13回
破門・指揮への回帰
学校では相変わらず松村禎三先生との関係がこじれちゃって、もうすごかったんです(笑)。
たとえば上野公園で遠くから誰かが歩いてくるなあと思って、よく見たら松村先生なんですよ。
―――ヤバイなあ。
と思ったんですよね(笑)。その時にはすでに先生の方でもこちらを確認してるんです(笑)。でもここでUターンしちゃうとわざとらしいから、仕方なくそのまま歩いて行ったんですよ。結局どうなったかというと松村先生と二人でずーっと顔見たまんま無言で立ち往生してました。上野公園の真ん中で(笑)。
ある時なんかは人づてに松村先生から「一度、電話してこい!」と言われたことがあって、電話したんですよね。そしたら
「おまえ俺に怒られたら泣けっ!!」
って言うんですよ。
「とにかく弟子の○○が可愛いのは、俺が『泣けっ!』って言ったら簡単に泣くんだ。あいつは可愛い!!おまえは全然泣かない!!可愛くない!!!」
もう笑っちゃってね(笑)。「なんなんですかそりゃ~」って言っちゃいましたけど(笑)。
それで極めつけが、私が指揮の仕事を始めちゃったことなんですよ。
実は2、3年生の頃から、ちゃんとした齋藤秀雄の指揮法を習おうと思って、指揮科のクラスに内緒で通っていたんです。
そのうち同級生のHが指揮の道に転向すると言い出して、井上道義先生に師事するようになったんですよ。そのレッスンでマーラーの《巨人》をピアノで弾いてくれとHから頼まれたんで「いいよ」と気楽に引き受けて、伴奏者のつもりでレッスンについて行ったんです。そしたら私が井上先生と仲良くなっちゃって(笑)。
「おまえ指揮やらないの?」
って井上先生に言われたんですよね。
「いやあ、昔は指揮をやりたかったんですけどね」
「ちょっとやってみな」
それでその場で振ってみたら
「いいじゃん、おまえ指揮やれよ」
なんていう話になって盛り上がって(笑)。それじゃあ、私も井上先生のレッスンに時々通いましょうということになったんです。
そのうちに「劇団四季」のオーケストラを指揮する仕事を私が貰っちゃったんですよね。ある時、指揮科の後輩に
「小倉さん、劇団四季にいる今の指揮者がクビになりそうなんで、小倉さん代わりにやんない?」
と言われて、「ああ、それはいいバイトだね」なんて言って引き受けたんです。
それでその話をチラッと松村先生にしたんですよね。そしたら、もう逆鱗に触れまして(笑)。要するに
「指揮がやりたいんだったら作曲科にいるな!!」
なんです。
「お前はとにかく作曲をやると思って、池野から預かって非常に期待してたのに、今さら指揮の仕事を始めるのか!!」
だけどこっちにしてみたら大学出たら食わなきゃいけないし、収入を得る仕事として指揮をやるのもいいな、と思ったわけですよね。
もうそれ以来、松村先生と完全にうまくいかなくなっちゃって、いよいよ収拾がつかなくなったんです(笑)。
そんなことをしていたんですけど、とうとうそれを見かねて、ある方が間に入ってくださったんですよ。
突然、「ちょっと三人でご飯でも食べよう。松村さんに出てきてもらうことにしたから」って電話が掛かってきて、その方と松村先生と私の三人で寿司屋に連れて行ってくださったんです。
その方を挟んで松村先生と私が座って話をするんですけど、すぐまずい雰囲気になるんですよね(笑)。
でも、しばらくしてその間に入ってくれた方が
「とにかく小倉君は池野成にさえ会わなければ作曲なんかはじめなかった。池野の犠牲者なんだから」
とおっしゃったら、その一言で松村先生はピタッと何も言わなくなったんですよ。それで最終的に
「そうか。おまえはとにかくそっちの世界に行って指揮者になるつもりなんだったら、俺の目の前をウロウロしてたらブッ飛ばすぞ!!」
そしてその場で
「それじゃあ破門だから」
はっきり“破門”という言葉をいただきました。
それでようやく蹴りがついて指揮の仕事を始めるようになったんですね。
普通、“破門”なんていったらそれで縁はプッツリ切れるじゃないですか。でも松村先生はそういうところがものすごくフェアな方で、その後コンサートでばったり会ったりすると、こっちは「ヤバイ!!」と思うんですけど(笑)、松村先生はニコニコして近づいて来て
「元気にやってるか」
なんて声を掛けてくれるんですよ。コンサートの出演者に
「こいつは俺の弟子なんだけど、今度なにか委嘱してやってくれ」
とか言ってくださったりするんですよね。
正式に破門にはなったんですけど、こんな感じで松村先生にはその後もお会いしたりしていました。
作曲科もちゃんと卒業させていただきました。指揮の仕事なんかもしていて、あまり学校にも行かず、松村クラスにも顔を出さずで結局6年いましたけど。
池野先生にも指揮の仕事を始めようと思う、という話をしたんですけど、とにかく池野先生としては私が伊藤清先生に頼まれた曲をなかなか書かない事をすごく気にしておられたんですよ。
「小倉君、早くトロンボーンの曲を仕上げたほうが良い」
こちらは「まあ長い目で見て、いずれ仕上げますよ」なんて言ってたんですよね。それで最後に
「小倉君、指揮者に転向は初志貫徹ですね」
と言われたんですけど、こりゃ半分は皮肉だなあと思ったりして(笑)。
そういう経緯で劇団四季の指揮の仕事をするようになったんですけど、そのうち演出家の浅利慶太さんとも面識が出来て、時には浅利さんにご飯をご馳走していただくこともあるわけですよ。それで一度そういう場面で松村先生に会っちゃったことがあって(笑)。
松村先生は劇団四季の舞台音楽をいくつか作曲しているんですよね。だから何かの打ち合わせで来られていたのか浅利さんと私がいるところに突然松村先生が現れたんですよ。あちゃー、こりゃヤバイと(笑)、どうなることかと思ったんですけど、そしたら松村先生が
「こいつは俺の弟子なんだけど、途中から棒で食いたいって言い出して、とにかく食わしてやってくれ」
頭を下げて浅利さんに頼んでくれたんですよ。
―――ああ、松村先生って良い人なんだなあ。
さすがにこの時は松村先生に感謝しました(笑)。
それからだいぶ後になりますけど、私の結婚式に池野先生と松村先生を主賓としてご招待したんですよ。その時はお二人とも式に来てくださいましたね。
小倉氏(写真右)の結婚式
写真左より作曲家 池野成、松村禎三夫妻
我が師 池野 成先生 小倉 啓介 インタビュー