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ompany池野成 没後10年 Salida企画



沢田完
インタビュー




第1回
音楽との出逢い



―――沢田さんは東京のご出身ですか。

 はい。世田谷区狛江で、上に兄と姉がいる三人兄弟の末っ子として生まれました。


―――いつから音楽をされていたのでしょうか。

 母が音楽大学のピアノ科を出ていまして家でピアノ教室をやってたんですね。それで家では常にピアノが鳴っていました。
 姉は小さい頃から「音楽大学行きなさい」みたいなことを言われて、スパルタまではいかないんだけど、毎日嫌々泣きながらピアノを練習していたんです。僕の方は弾けとも何とも言われないで、姉の演奏を聴いてピアノっていいなぁと思って適当にマネ事で弾いてました。3歳くらいの頃でしょうか。親も男だから趣味で弾いてりゃいいみたいな感じで、何の厳しい指導も無くて、本当にもうだらだらだらだらやってましたね。結果的に自分みたいなのが音楽の仕事をしているのは皮肉なものです(笑)また、祖父が洋画家だったので、兄も僕も絵を描くのが好きでした。
 ちなみに兄は彫刻家になって、現在文化学園大学で美術の准教授をやっております。


―――ピアノ以外には何か楽器をされましたか。

 小学3年生の時、学校にトランペット隊という金管バンドみたいなのがありまして、かっこいいなぁと憧れて入りました。
 それからトランペットはずっと吹いていまして、たまたま家の近くに東京佼成ウインドオーケストラの理事をされているトランペットの先生がいらっしゃったので、小学5年生の時からそこに習いに行くようになりました。その後も色んな先生を転々としたんですけど、最終的に高校生の時NHK交響楽団の北村源三先生に師事したんです。


―――この頃楽器の他に何か夢中になったことはありますか。

 役者をやっていた父の影響もあり、小さい頃からよく映画館に行きました。
『スター・ウォーズ』や『未知との遭遇』を見て、もう衝撃を受けた世代です。
 小学6年生の時に、初めて自分のお小遣いで買ったサウンドトラックが『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』で、こういう映画の音楽って本当に素晴らしいなあと思ったんですね。当時はまだ子どもなので「映画音楽」と一括りにして聴いていたんですけど、やっぱり当時のサウンドトラックはジョン・ウィリアムズをはじめとするオーケストラの曲が多かったので、そのゴージャスなサウンドというものに陶酔、感動したんだと思います。
 それからすっかりサントラコレクターみたいになって、お小遣いが貯まるとサントラを買いに行く、という感じで、もうサントラレコードばかり一日中聴いていました。何となく将来こういうものに関わる仕事をしたいな、という気持ちもこの頃うっすら出てきたと思いますね。

作曲家 沢田完
本取材は御厚意により、特別に沢田氏の御自宅において行われました。



―――中学生の時も音楽をされていたんですね。

 はい。トランペットは引き続き習いに行ってたんですが、学校では吹奏楽部に入って、コントラバス、トロンボーン等色々な楽器をやりました。

 その頃、人生を変える大きな出来事がありました。中学1年生の秋だったと思うんですけど、たまたまラジオのFMでベートーヴェンの《交響曲第3番 英雄》を聴いたんですよ。そしたらこれまでの映画のサントラとは全然違って、本当にこれは素晴らしい!とショックを受けたんです。もうすっかり《英雄》に夢中になりました。
 それからは、サントラよりもベートーヴェンのレコードやスコアを買ったりするほうが増えていって、同時に他のクラシック作品も聴くようになっていきました。

 当時は金曜日になると『FMfan』や『FMレコパル』とか2週間分の放送リストがバーッと書かれたFM雑誌というものが出るんですよね。そのクラシックコーナーのところに全部線を引いてチェックして、ひたすらクラシックを聴いては、カセットに録音しまくってました。それが一番安上がりなので(笑)。そんなふうにエアチェックは中学、高校と、もう欠かさずやってました。友人からはエアチェッカーと呼ばれてましたよ(笑)。


―――ベートーヴェン以外によく聴いた作曲家というと誰になりますか。

 ストラヴィンスキーとブラームスですね。やはりストラヴィンスキーは特別に好きで、これは後々池野成先生にも繋がっていくと思うんですけど、相当はまりました。衝撃を受けたのは三大バレエで《ペトルーシュカ》が特にツボでした。もうレコードやCDを買いまくり、コンサートに行って聴きまくりましたね。

 ただ、ストラヴィンスキーの音楽の受け取り方は、池野先生の時代と比べると若干違いがあると思いました。
 オーケストラの不協和音にびっくりしたといっても、僕の頃は映画音楽でそういうものは幾らでもありましたからね。例えば『未知との遭遇』なんて頭から不協和音で始まるでしょう。だから、オーケストラの音の斬新な重ね方とか変則な拍子に対してはそれほど大きなショックは無かったんです。

 むしろ僕が一番感じたのはメロディーが綺麗だなということですね。《火の鳥》も《春の祭典》も《ペトルーシュカ》もオーケストレーションやリズムという以前に、僕はメロディーが魅力的だなと思いました。今でもそう思ってます。やはりストラヴィンスキーはメロディーのセンスが素晴らしい作曲家なんだと思います。
 《火の鳥》は、子守歌も良いし、フィナーレも同じ旋律の繰り返しだけど、なかなかあんな洗練された音楽っていうのは書けないですよ。シンプルこそ実は、一番作るのが難しいんですね。

沢田完氏コーヒー準備
手ずからコーヒーを淹れて振る舞ってくださる様子は、
かつて同様に客人をもてなしていた師を思い起させる。


―――逆に日本人作曲家の前衛的な、いわゆる「現代音楽」と呼ばれるモノはどうお感じになりましたか。

 ほとんど興味無かったですね(笑)。
 たまにそういう作品をFMで聴きましたが、どうにも性に合わなかったです。なんだか地味で暗いなぁと思って。ただ、みんなが評価しているから悪いものなんじゃなくて「懐石料理」みたいにまだ若い自分には口に合わないのかなぁ、と思ってました。歳を取ったら分かるものなのかと…でも作曲を勉強し始めた頃は、センパイや先生から、現代人なんだから現代音楽を聴け!と言われて、まあ困惑しながらも一応聴いたりはしていましたよ。

 同じ日本人作曲家の音楽でも、映画やアニメの劇伴とかは好きでした。
 当時は特撮モノだとやはり伊福部先生の『ゴジラ』が有名でしたが、兄がゴジラ系の怪獣映画をあまり観ない人だったので、好きとか嫌いに関係なく、僕の場合はウルトラセブンの冬木透さん、アニメーションの渡辺岳夫さんの音楽に触れる機会の方が多かったですね。末っ子だったので兄貴や姉の影響が何分大きかったんだと思います。

 じゃあ、その劇伴を音楽だけ切り離して聴いていたかというと、それはなかった。
 その一番の理由は、やっぱり最初に聴いて感動した『スター・ウォーズ』とか向こうのサントラは、演奏や録音が今聴いても素晴らしいじゃないですか。そういうのばかり聴いていると結構耳が肥えちゃって(笑)子ども心にも、生意気ですが、音楽は演奏も音質も重要だと思っていたんですよね。当時の日本の劇伴はモノラルで、演奏もよくズレたり、音を外してるでしょ(笑)。今ではそういう録音も味があって良いなと思って楽しめるんですけど、当時の自分には耐え難かったんでしょうね。
 ですから、あくまで映像と一緒に聴いていました。








第2回 音楽大学へ



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