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「戰國時代」の音楽



小杉太一郎
小杉 太一郎

 創作には其の人其の人の個性がはっきりあります。
 お茶碗一つ作る場合でも、そうだと思います。ことに芸術的な創造の場合は、いわずもがなで、私は此の台本を戴いた時、創作意欲にかられました。つまり、最も良く自分を表現出来る素材だからと思ったからです。しかし、何とも時間的な制約がありすぎたので、とまどい困惑して橘先生にお会いしました。
 経験のある割に、器用に素早くまとめる事の下手な私の仕事を理解していたゞく為に……しかし数時間の談合の結果、先生の人間性、包容力、スケールの大きさにすっかり参って、もう一度此のかなりきびしい創作時間のわくを何とか、乗り切って懸命に作り上げました。

 「戦国時代」の音楽の大半を支配していた陰旋法と律旋法をさけ、私は私なりに現存する日本の民族音楽に最も屡々聞かれる陽旋法の響き(是は人に依っては卑俗的と考える)を持って当時の人間の苦悩、開放の喜びに沸く人間像そして僧侶の哀感を舞台を通し表現し得ると信じたのです。
 なぜなら文化生活の向上を誇る現代でありながら実は頭にチョンマゲをのせていないだけの事で、いくらでも血生臭い葛藤はくり拡げられているし、我々自身此の劇の人々と同じ様に、数々の矛盾、幾多の阻害の悲劇に身をさらしながら、毎日を生きています。そして数多くの犠牲の下に一個の強堅的な国家が、云わば名目的な文化国家の装いのもとに、きずかれていると云う意味においても彼等の時代も我々の時代も何ら本質的な相違を持たないからです。

 最後になりましたが毎年意欲的な創作活動をなさって居られる橘先生、それに協力されるスタッフの方々に心から敬意を表します。
 


1966年「牧 阿佐美バレエ団 11月定期公演」プログラムより





 「戰國時代」の曲は、作者の橘先生とスタッフの方々と数回に渉たる討議を重ね、1966年の初夏から同年11月頭初にかけて書かれた、私にとって古典バレエの為の音楽としては始めての作品です。内容的には私の嗜好と肌に合ったものなのですが、時間的な束縛の中で、作曲には可成りの混乱を来たし困難を極め、11月の公演の際には、誠に杜撰な総譜と稚拙な音列と言った惨澹たる体たらくでした。5周年記念公演に、「戰國時代」の再演を決定したと言うことを聞き、当初、橘先生の希望された「男臭さ」の再検討に取り組み、作曲者の自慰かもしれませんが、全幕に亙って大改訂を加えました。本質的に目立った相違は無いと思いますが、所期の効果は可成り果たされたと自負して居ります。執拗に反復される五音階に依る音型は、或る人にとって耐え難い事かも知れませんが、飽く迄、日本の民族的所産に足を踏んまえた頑迷な作曲家と御聞き流し下さい。

 部分的に、四国の阿波踊りや、東北地方の民俗芸能とか、琉球音楽を想起する様な楽想が用いられて居ますが、是等は我が国の持つ旋法を広汎に使用した結果であり、舞踊の内容とは全く関係有りません。
 
 最後に、毎年意欲的な創作活動を続けて来られた橘秋子、牧 阿佐美両先生を始め、強靭なるスタッフの方々に心から敬意を表すると共に、今後益々の活躍を心から御祈り申し上げます。


1967年「牧 阿佐美バレエ団 第29回定期公演」プログラムより





CD「小杉太一郎の純音楽」収録曲
舞踊組曲「戰國時代」


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