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椎名慧都Salidaインタビュー


椎名 慧都 氏 略歴



(1)



―――慧都さんと演劇の出合いはいつ頃ですか。


 幼稚園の時の「お遊戯会」ですね。
 演目は『桃太郎』だったんですけど、私は桃太郎役をやらせてもらいました。幼稚園の年長さんの時ですから5歳の時ですね。



―――女の子なのに桃太郎を?


 そうなんです。先生にも「桃太郎は男の子なんだよ」って言われたんですけど、「どうしても桃太郎がやりたい!」って立候補して(笑)。
 幼稚園のお遊戯会なので桃太郎役が何人もいたんですけど、その中でひとりだけ女の子がいるもんですから、同級生のお母さん達がそのことをよくおぼえていて、今でも「桃太郎やってたよね」って覚えていてくれるんです。
 その時は、二言ぐらいの台詞だったんですけど、幼稚園の私なりに毎日頑張って練習してました(笑)。



―――その後も演劇とのつながりは続いたのですか。


 私は、小・中・高それから大学も桐朋学園に通っていて、短大の演劇科が小学校と同じ校舎にあるんです。放課後になると演劇科の学生達が外で稽古をするんですね。それを帰り道にランドセル背負ったままよく見に行っていました。稽古を見るのが好きだったんですね。

 それから小学校5年生の時にクラブ活動をやることになって、その頃には「演劇やりたい!」という気持ちが強くあったんですけど、学校に演劇クラブが無かったんですね。でもどうしても演劇やりたいって先生にお話したら、「5人集めたらいいよ」と言ってくださったので、友達に声をかけたら5人の友達が集まってくれて、演劇クラブをつくったんです。最初は、小学校の図書館によくある“学芸会でやるお芝居の本”のようなものの中から『やぶ医者は名医』という作品を選んで、みんなで発表したりしました。

 あと、これも小学生の時からなんですけど、合唱団にずっと入っていて、そこでただ歌うだけではなくて、演劇が好きな私に、朗読をする機会を先生がつくってくださったりもしました。昔からそういうかたちで人前で表現することが好きだったんだと思います。

 中学校にはもともと演劇部があったので、そこで演劇をやって、高校でも引き続き演劇部に所属していました。演劇部の活動の他に、桐朋では高校3年生の文化祭で必ずクラスごとに演劇をやるっていうのが毎年恒例なんです。受験生なのに各クラスかなり熱を入れて賞を目指して舞台を創るんですよ(笑)。
 そういう意味でも演劇がけっこう身近な環境だったなって感じますね。

 本格的に演劇を学び出したのは大学からです。大学もそのまま桐朋の演劇科に進んで、短大だったので2年間通った後、引き続き「専攻科」というところにプラス2年通って、合計4年間演劇の勉強をしました。

 不思議とずーっと演劇をやってきましたね。



―――俳優座にはどのような経緯で入られたのですか。


 大学に通って3年目の時に、私が出演した桐朋の公演で俳優座の田中美央さんが客演で出てくださったんです。進路のお話をさせていただいた時に「俳優座は舞台だけじゃなくて自分のやりたいことやいろんなことができる」というお話とか、いろいろ教えてくださったんですね。それから俳優座のお芝居を観に行く機会も増えて、やっぱり私自身、舞台が好きで、俳優座のような老舗の劇団に入りたいという思いがあったので、大学卒業後に入所試験を受けたという流れです。

 これは俳優座に入ってから知ったことで、別にそのことを意識して選んだわけではないんですけど、母の叔父、私にとっては大叔父にあたる山内久が、俳優座に脚本を書き下ろしたことがあって、他にも久が脚本を担当したテレビドラマ『若者たち』に俳優座の俳優ががいっぱい出演していたりだとか、同じく大叔父にあたる山内明が、今も俳優座で活躍している代表の岩崎加根子さんと共演していたこともありました。
 この前も俳優座の荘司肇さんが、私が山内明の大姪だとお知りになったら、山内明と一緒に出演された『新幹線大爆破』(1975年 東映 監督:佐藤純彌)という映画のことを色々とお話しして下さったんです。

 不思議とすごくご縁があるなあと思いますね。

山内明

山内 明




―――お話に出た山内久さんとは、どのように接してこられましたか。


 小学校6年生の時に“戦争体験者の話を聞いてくる”という夏休みの宿題が出たんですね。久さん(きゅうさん・山内久)は実際に戦争に行っていて、『私も戦争に行った』(岩波ジュニア新書)という本も書いているので、その本を読んでインタビューをさせてもらいに行ったことがあります。
 数年前に俳優座の「戦争とは」という朗読公演に私が出演した時は、『私も戦争に行った』を朗読させてもらいました。

 久さんは、私がお芝居をやりたいんだというと、
「今書いてる脚本があるから、その主演女優をやってね」
って言ってくれてたんですけど、そのすぐ後に病気で倒れてしまって、それがお話できた最後でしたね。

 私が大学生の時に久さんが脚本を担当したテレビドラマ『若者たち』をリメイクした『若者たち2014』が制作されたんですけど、その時にはドラマに出てくる劇団員の一人として出させていただいたこともありました。

脚本家 山内 久

山内 久




―――曾祖父にあたられる小杉勇さんも俳優として活躍されましたが、意識されることはありますか。


 小さい頃から小杉勇が出演している映画が名画座などで上映される時には観に行っていました。
 子どもの時は、「あっ、これがひいおじいちゃんなんだあ」ぐらいの感じだったんですけど、改めて役者として意識すると、やっぱりすごく人間味があるな、と感じますね。
 台詞に東北の訛りを残したまま言うことがあるんですけど、あえてそれを直そうとしなかったり、見た目もものすごくかっこいいわけではないし(笑)。けっして完璧ではないんですけど、でもその方がより人間味があって魅力的なんですよね。

  あと、無声映画に出演していた時代には「眼の演技」をすごく意識していたと本人も言ってたみたいです。今回『カツベン!』の中で「火車お千」というオリジナルの劇中無声映画でお千を演じるときには、そこを強く意識していました。



小杉 勇
映画『たそがれ酒場』(1955年 新東宝 監督:内田吐夢) 撮影時。
写真提供:小杉家




―――小杉勇さんは、民謡がとてもお好きだったことでも有名ですね。


 いつも民謡を唄っていた、と母から聞いています。
 この前、曾祖父が監督した映画を観たんですけど、上映中に流れてくる民謡を聴いて母が「あれ?!これ勇の声だ!」って気がついて、「実際に自分が唄っちゃってる!」みたいな(笑)。

 曾祖父が監督した映画には民謡がよくつかわれていたりもして、本当に民謡が好きだったんだなあって思いますね。

 実は私も以前、もしかしたら舞台で民謡を唄うかもしれないということがって、民謡を習いだしたんです。結局それはいろんなことがあって実現しなかったんですが、民謡は自分でも不思議なくらい好きでその後も続けています。やっぱり血なのかなと思ったりします(笑)。

 民謡をはじめて唄った時は、なんかこうすっきりするというか「あ、これだ!」みたいな本当に不思議な感覚でした。民謡はずーっと唄っていられて、声も他の歌よりもとても出しやすいんです。

 先日はNHKの『民謡魂-ふるさとの唄-』という番組で瞽女さんの役をやらせていただいて、瞽女唄を唄いました。



―――慧都さんは昔の日本映画は御覧になりますか。


 役作りの時に観ることが多いですね。昔の日本映画からヒントをもらうことがとても多いです。

 やっぱり小さい時から母がよく観ていたので、一緒に昔の日本映画を観たりだとか、舞台も子ども向けのものにはあまり行かずにたとえば民藝のお芝居を観に行ったりすることが多かったです。

 一番よく覚えているのが、仲代達矢さんと奈良岡朋子さんの『ドライビング・ミス・デイジー』という舞台です。それも小学校4年生の時だったと思うんですけど、なかなかその年齢では見に行かない舞台ですよね(笑)。今でもその時の舞台はものすごく印象に残っています。 



―――お祖父様の小杉太一郎さんの音楽はどのようにお感じになりますか。


 これまでに祖父が音楽を担当した映画を観てはいたんですけど、やっぱり一番印象に残っているのは、《カンタータ 大いなる故郷石巻》公演を実際に石巻へ見に行った時ですね。石巻の方々があの曲をものすごく大切にされていることが伝わってきて、改めて祖父を尊敬しました。そこから関心を持って純音楽作作品なども聴きはじめました。

 大学生の時には祖父が作曲した箏曲《双輪》を舞台でつかったり、「震災」というテーマでマイムの発表があった時には、《大いなる故郷石巻》を使ってマイム作品を創りました。

 祖父の音楽はとても聴きやすいですね。ほのかに“和”のテイストが入っていて、そこはすごく好きだなって感じる部分です。あと、“熱”があるというか、とても熱い音楽ですよね。



―――お母様から小杉太一郎さんのお話は聞かれたことはありますか。


 寝ているところを見たことが無い、それぐらい忙しかったという話はよく聞きます。最期に入院している時も病室で鍵盤ハーモニカを使って作曲していた話も聞きましたね。

 それから、『パンダの大冒険』(1973年 東映動画 監督:芹川有吾)の時は、出来上がった曲をピアノで弾いて家族に「どう?」って意見を訊きながら作曲していたそうです。



小杉太一郎






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