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正はずいぶん無念だったろう

(5)



 あの日のことは、思い出すのが辛い。ただ一つだけ救いがある。

 正は午後死んだが、夕方、馬場当が馳せつけてきた。20年来の論敵である。正から云わせれば、馬場は腐敗分子であり、馬場から云わせれば正は教条主義者だった。その馬場が、面上の白布を取るやいなや
「嫌味を云って悪かった、タータ。許してくれ」
と叫んで大声で泣きだした。
涙が、初めて、私の目からもはじけ飛び、長くやまなかった。論敵からも、私が見も知らぬ多くの人からも、正は熱烈に愛されていた。そのことが私を慰め、更に悲しませた。

 正は堂々とした顔で死んでいた。残された者たちのために、園江稔先生の手でデス・マスクが取られた。

 彼自身にとっても意外な死だったろうし、思い残すことも数々あっただろう。芸術家が安心して生きられる世の中を作ることが、恐らく彼の理想だった。青春の日々、彼は生きるとは何か、勇気とは何か、そして芸術に身を捧げるとはどういうことであるかを、身を以って私達に示した。迫力ある最終楽章を聞き損った恨みは永久に残るが、ジャンルの違いを越えて、私としては、彼の思い残したテーマ、自由と、平等と、歓喜のために、身を粉にして働くより道はない。私たちが死なない限り、明や久の中に、そして勿論、息子の弘の中に、輝くような青春の日の姿のまま、正は生きていると云う気がしている。



1981・5・3 憲法記念日朝。

作曲家 山内 正
作曲家 山内 正
(撮影:小杉太一郎 1957年3月 小杉宅仕事部屋にて)





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