本文へスキップ


 



「田村 徹の歴程」

上野 晃 (音楽評論家)



 田村徹という未知数の若い作曲家の名が記憶にしっかり刻まれたのは、1964年、上田仁指揮の東京交響楽団が初演した《筑後地方の俗楽によるコンポジション》によってであった。TBS賞〈日本を素材とする管弦楽曲〉第4回で特賞。前年に武蔵野音楽大学作曲科を卒業、また翌65年には《三重奏曲》が第34回毎日音楽コンクール作曲部門にて第3位入賞しているので、順風満帆の好調スタートである。

 1938年(昭和13年)1月15日、現在の北朝鮮・沙里院で生れたのは、当時父君が朝鮮総督府に勤めていたためだが、45年の敗戦によって、先祖代々の故郷・福岡県久留米市に引きあげた。その後の彼は、武蔵野音大作曲科に入学し、クラウス・プリングスハイムをはじめとして、渡邊浦人からさらに安部幸明らに師事。首都圏に在住して作曲活動に入ってからも、頻繁に九州各地に足を運び、教育活動とともに、郷土の自然を自己の音楽創造の資としてきた。自身のスタンスの起点として真っさきに世間に表明されたのが〈日本を素材とする管弦楽曲〉特賞作品だった。

 常に中央と地方の両方に脚を踏ん張り、その地の風土に培われ、地域の精神に基づく作曲が、田村徹のテーゼになっていく。1968年作の《東洲斎写楽》は、クラリネットとファゴットのために書かれたユニークな二重奏曲だが、浮世絵という庶民の芸術に想いをいたし、民族や大衆感情に根ざす音楽を組曲に仕上げている。71年には《チューバの為の四重奏曲》も委嘱で作曲する。

 彼のリージョナリズムは、69年に《ピアノによる風土記》を魁として、70年代の《ピアノ小協奏曲》(ピアノ/フルート/チェロ/打楽器)、71年の《ピアノ小組曲》、そして72年の《ピアノソナティネ》、さらに73年の《ピアノソナタ》などを経て、80年作《ピアノ協奏曲》、83年《漂白-種田山頭火の句による》、その上に《30の指は星たちのさざめきを紡ぐ》の3台のピアノとオーケストラによる協奏曲、というようにピアノのための種々作品が圧倒的多数を占める。

 さかのぼって声楽作品を辿ると《筑後方言詩による歌》《青猪の歌》、児童合唱曲の《子供のための日本民謡》や《当世わらべ歌》などが、やはり60年代後期から70年代にかけて作曲、《南の島の俳句歳時記》や《柳川風俗歌》《水縄抄》《久留米地域のグラフティ》といったローカリティに一際注耳させられる。

 田村徹は、ずっと首都圏に在住して作曲活動を続け、東京の大学に職分を置いたが、音楽創造の基盤はいつも郷里にあった。1962年の成城高等中学校に始まり、東京女子体育大学を経て、武蔵野音楽大学が66年から続くが、1970年からの立正女子大学=現在の文教大学勤務が根を下ろし、73年に助教授、81年には教授、学生部長から学長補佐、ついに学園理事長に達する。郷里に定住して、作曲三昧を〜という希いは、2008年現在まだ叶いそうにない。

 1980年より九州作曲家協会の柱の一人として、兄弟の田村勝哉・洋彦とともに〈九州現代音楽祭〉を立ち上げ、現在までの四半世紀を超えて、リージョナリズムを地(じ)に活動を続ける。また近年は、韓国・大邱/中国・上海の作曲家連と東アジア作曲家協会を結成して、新たなデルタ的営みにも臨んでいる。

 因みに、田村三兄弟は、面立ちも性格も異にするけれども、挙ってミューズを戴く第一線音楽人。三男の田村洋彦は、八歳年長の兄とまったく同じコースの武蔵野音大作曲科に進路を選び、やはりプリングスハイムのもとで研鑽を、作曲の道に踏み入ったのもドメスティックな音楽環境によるところが大きい。大学院を出てからは東京に留まらず、1973年作の《管弦楽のための交響的変容》を引っ提げて九州に帰っている。78年の《大分の俗楽によるファンタジー》、80年のバレエ音楽《大分の祭り》、82年の豊後みゅーじかる《臼杵石仏物語》などで判るように、洋彦の活動拠点は確と大分に定められ、地域における音楽創造が如何にあるべきかの課題を、長年実践に移してきた。その後、和楽器による作曲に新たな姿勢を示している。

 長男の勝哉は、早くからピアノによって音楽的才能を恵まれたが、中央大学の法学部を卒業して九州に帰り、本格的にピアニストとしての活動に入った。クラシクスもポップスも隔てない営みであったが、しだいにジャズ・ピアニストとして名を博するにしたがい、この分野のエキスパートとしての演奏は勿論、編曲・作曲、そして音楽教育に、独自の理論と独特のシステムを展開してきた。ここに来て、三人の共通分母がピアノであることに、改めて気付く。こういった音楽的因果が、地域性に深く広く基づいて来たことをしらされる。

2008年6月







「作曲家 田村 徹 インタビュー」


CD「山内正の純音楽」


作曲家 山内正 研究活動




inserted by FC2 system