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浦田健次郎Salidaインタビュータイトル
浦田健次郎Salidaインタビュー

浦田 健次郎 氏 略歴




〈T〉



―――浦田先生と音楽との出会いはどのようなものだったのでしょうか。


 僕は御茶の水の生まれで、小さい頃はピアノも何もやってなかったんだけど、中学1年の時に井上謹次先生が赴任してこられて、いわゆるブラスバンドのようなものをつくられた。それを見てうらやましくなって2年生の時にそこへ入ったら、その頃僕は同級生の中で割と背が高かったもんだから、「おまえ、手が長いからトロンボーンやれ!」って井上先生に言われて(笑)。こっちは楽器のこと何も知らないんだけど、とにかくトロンボーンをやりはじめた。それが音楽との出会いですね。



―――音楽の道を志されたのはいつ頃ですか。


 中学3年生の時には音楽でやっていきたいと思っていて、たまたま1年上の先輩が藝高(東京藝術大学付属高校)に入ったもんだから、じゃあ僕も「藝高行こう」と思って。藝高が何なのかも知らずに(笑)。
 それから急いで井上謹次先生御夫妻にピアノとソルフェージュを習って、同時にトロンボーンを東京交響楽団にいらっしゃった佐藤菊夫先生と藝大で先生をされていた山本正人先生に指導していただいて、幸い藝高に入ることができた。
 藝高でトロンボーンをやって、そのまま藝大に進んでトロンボーン科で卒業もしたんだけど、最初は「アレンジャーになろうかな」っていう気持ちもあって、大学3年の終わりぐらいに石桁眞禮生先生のところに和声を習いに行ってたんだよね。そのこともあって、やっぱり基本的なことから作曲を勉強しようと思って藝大の作曲科に入りなおした。



―――浦田先生の世代では、将来何をしようかと考える時に不自由さをお感じになることはありませんでしたか。


 もう僕らの頃はとくになかったね。僕は太平洋戦争が勃発した年に生まれて、空襲とか防空壕とか食うものに困ったとかそういう経験はあるけれど、子どもの頃だからね。小学校に入った頃にはもうある種の自由思想が世の中に浸透してたから。

 今思うと僕は良い時期に生まれたと思う。子どもの時にテレビは無いし、あんまり豊かな時代じゃない。だけど音楽でいえばそういう戦後に出てきた作品や音楽的な主張に時代の流れと同時進行的に接っして、否定したり良いと思ったりして育って来てる。高度成長期とか社会そのものの変化にもリアルタイムで接しながら。
 今の人みたいに生まれたらすでにパソコンがあってスマホがあってという便利さは無いけれど、いわば戦後日本の音楽文化の歩みを全部体感しながら今日まで来てる。否定するものは否定してね。だからある意味では良い時代と一緒にすごしてきたなあと思う。



―――作曲科では引き続き石桁眞禮生先生に師事されますね。


 たまたま僕の高校からの同級生が石桁先生の門下生だったから、紹介してくれるように頼んで石桁先生にお会いした時からはじまって、その後も引き続き師事したという流れですね。
 藝大では一人の先生に固定しないで、いろんな考え方を取り入れた方がいいだろうっていう方針もあって、丸田昭三先生、末吉保雄先生にも師事しています。



―――その当時、お好きな作曲家はいましたか。

 高校でトロンボーンやってる時はジャズにのめり込んでたんだけど、作曲をはじめた頃はとにかくあらゆるものを知っておこうと思ってなんでも聴いてた。そのうち自分がどういうものをやりたいかって考えるようになった時に一番聴いたのはストラヴィンスキーだね。



作曲家 浦田健次郎




―――石桁門下を中心に結成された作曲家の会「環」の第一回定期演奏会で《アルトサクソフォンとピアノのためのソナタ》(1967)が取り上げられ、浦田先生は在学中に楽壇デビューされますが、アルトサクソフォンを使おうと思われたのは何か理由がおありだったのですか。


 藝大作曲科1年生の提出作品がデュオの作品で、みんなヴァイオリンとピアノだったり、フルートとピアノみたいな作品を書くんだよね。だけど僕はそういうのは書きたくなくてどうしようかと思ってたんだけど、中村均っていう上手いサクソフォン奏者と知り合いだったもんだから、それでじゃあアルトサクソフォンとピアノの作品にしようと思って。
 「環」の第一回定期演奏会では高橋アキさんがピアノを弾いてくれました。



―――浦田先生が在学中に書かれた《トートロジィbP》(1967)は、池野成先生も大変評価されていたとうかがっています。この作品はどのような経緯で作曲されたのでしょうか。


 僕が作曲科に入りなおして3年生の時だったかな。その頃になるとそれまで後輩だったトロンボーン科の友達が学年的には先輩になってるわけだけど、彼らが「卒業の記念に演奏会やりたいから何か曲書いてくれないか」って頼んできたんですよ。藝大の吹奏楽のメンバーも一緒に演奏するからって。
 最初はもうね、お気楽なもの書こうと思ってたの(笑)。でもそのこと石桁先生に話したら「もう少しよく考えなよ」って言われて(笑)。

 ちょうどその頃は前衛音楽が華やかな時代でね。僕もほとんどの前衛系の音楽会に足運んだけれど、もうどれ聴いてもつまんない。唯一、「こういうものを良いと感じなくてよかった」って思うぐらいで。
 一方で藝大ではエクリチュール、書法でもって上手く書けてるとか書けてないっていうのが幅をきかせてた。でもそういう作品を聴いても全然面白くない。エクリチュールありきで作曲するっていうのは、僕はいまだに疑問視してる。自分の書きたいものに対して充分に書けることがエクリチュールであると思うから。エクリチュールだけが先行するものだとは思わない。

 それじゃあ、自分はどうしたらいいのか。何を書いていいのかわかんなくなっちゃった。だから自分としてはいろいろ模索したんだけど、その当時、割りと民族音楽を聴いてたの。演奏会も国立劇場なんかでけっこうやってたし、ライブレコードもあった。
 そんな時にチベットのラマ教の音楽をレコードで聴いて、「これだ!」と思ってね。ラマ教の音楽って仲間に聴かせるとだいたい一回聴いただけで「もうヤダ」って言うんだけど(笑)。ようするに西洋音楽の論理とはまったく違う。これが音楽というならば自分も書けるだろうと思って、《トートロジィbP》を書き始めた。
 
 編成も普通の吹奏楽でやってもしょうがないから、トロンボーン5人、打楽器5人、あと、サクソフォン。サクソフォンは小さいのから大きいのまで音域に幅があるし、けっこう仲間に吹けるのがいて参加しやすいから8人使うことにした。

 初演は周りからの評判も良かったんですよ。まあ、今まであんな曲書いた人いなかったから。
 でも、「曲書いて」って頼んできた連中は、「まさかこんな曲書いてくるとは思ってもみなかった」って嫌な顔してたけど(笑)。それでもその後いろんな演奏会で何回か演奏されてます。
 
 このこともあって、作曲科3年の提出作品には編成をオーケストラにした《トートロジィbQ》っていうのを書いた。それはまだ音にはなってないですけどね。



―――「トートロジィ」というタイトルにされたのはどのようなお考えからですか。


 同じフレーズを繰り返すパターンの曲だから単に「同語反復」っていう意味でトートロジィ(TAUTOLOGY)って付けたんだけど、「TAUTOLOGY」って英語ではあんまりポジティブな意味ではないんだよね。
 論理学的に「あいつにこう言ったら、また同じ言葉を反復して言い返してきた。話の内容の展開性が何も無くて、あいつの話はTautologicalだ」って言い方をするんだって。それは良い意味ではまったくなくて軽蔑的な意味なわけ。
 タイトルを付けた時、僕はそのこと知らなかったんだけど、石桁先生に「おまえあれあんまり良い意味の言葉じゃないよ」って説明されて「だからもうやめろ」って(笑)。



―――在学中に作曲された歌曲《誄歌(るいか)》も浦田先生の代表作となりますね。


 あの頃、作曲科4年生になるとね、提出作品として歌曲を書かなくちゃいけなかった。
 でも僕は詩がちゃんとあるのになんでわざわざそこに音つけて歌曲をつくんなくちゃいけないのかと思ってね。歌曲をいっぱい書いてる石桁先生にそのこと言ったら、

 「もうそんなのは聞き飽きた。なんだったら今度来る時になんか歌曲書いてこい。そしたら話してやる」

 って全然相手にしてくれなくて(笑)。

 それでとにかく歌曲を書こうと思って、最初は近代・現代詩を読み漁ってたんだけど、そのうち古典も読むようになって、最終的に『古事記』と『日本書紀』に収められているいわゆる「記紀歌謡」から四首を選んで《誄歌》っていうのを書いてね。それが最初に書いた歌曲。

 「誄歌」っていう言葉は僕の造語じゃなくて、「人の死を追悼し、その生前の功徳をたたえる歌」という意味で昔からあるんだよね。

 その頃は石桁先生の歌曲がしょっちゅう演奏会で取り上げられていて全部聴きに行ったんだけど、そうしたら「やっぱりこれは男一匹、歌曲に一生かけてもいいかな」と思うようになって、その後、八木重吉の詩で歌曲つくったり、東京混声合唱団からの委嘱で《月光・日光》、女声合唱や同声合唱の曲とかけっこう書いてる。

 そういえば藍川由美さんがね、《誄歌》を歌ってくれたことがあって、あれは良い演奏だった!でもね、録音が無いんだよ。(註:1987年3月17日「藍川由美リサイタル」 於:東京文化会館小ホールと思われる)

 《誄歌》の初演は伊原直子さんが歌ってくれて、その演奏も良かった。それから何人かがやってくれたんだけど、なかなか演奏されにくい。そういう中で藍川さんが歌ってくれた《誄歌》は本当に素晴らしかった。



CD「浦田健次郎 室内楽作品選集」表紙 CD「浦田健次郎 室内楽作品選集」裏表紙
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《トートロジィbP》&《誄歌》収録(録音:2001年12月3日)
CD「浦田健次郎 室内楽作品選集」
(FOCD20029/30)





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