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浦田健次郎Salidaインタビュータイトル
浦田健次郎Salidaインタビュー

浦田 健次郎 氏 略歴




〈U〉



―――同じく在学中ですが、1968年には《祝典のための音楽》で「東京都100年記念祝典曲」優秀賞を受賞されます。


 あの時は、5人の作品が候補作として残った。
 そのうちオーケストラの練習に来いってことになって、練習場に行ったんだけど、途中で先に練習が終わって帰ろうとしてた作曲者にばったりあったの。そしたら

 「君の作品を少し演奏してたけど良い音してるよ」

 って言ってくれてね、嬉しかった。

 《祝典のための音楽》は、僕の初めて演奏されたオーケストラ作品だったから、最初の音を聴いた時は、もう嬉しくて嬉しくて。おお、良い音してんなあと思って(笑)。オーケストラ作品が初めて演奏されたあの嬉しさはよく覚えてる。

 その後も《祝典のための音楽》は何回か演奏されて、バレエと一緒に演奏されたこともあるし、後々、オーケストラと仕事するようになった時に「《祝典のための音楽》演奏したけど、あれ面白かったねえ」って言ってくれる演奏家も何人かいましたね。



―――翌1969年には吹奏楽《メタモルフォージス》が日本吹奏楽指揮者協会作曲賞を受賞。これをはじめ浦田先生はこれまで「全日本吹奏楽コンクール課題曲」として《プレリュード》(1979)、《マーチ・オーパス・ワン》(1984)、《セリオーソ》(2008)の3作品、この他吹奏楽作品を多数作曲されており、吹奏楽との関係が大変深くていらっしゃいます。吹奏楽編曲のお仕事の数もすごいですね。


 編曲はものすごくやってる(笑)。
 やっぱり僕がはじめ藝大のトロンボーン科にいたから、その頃の仲間達っていうのは後々吹奏楽の現場で活躍するわけだよね。楽団に入って演奏するだけじゃなくて出版関係の方に行った人もいるし。そうなると吹奏楽で編曲の仕事が出てくると僕に声をかけてくれる。いろんなジャンルの曲を比較的簡単で演奏しやすく吹奏楽に編曲する仕事が来たり、ある時はいわゆる流行り歌ばっかり編曲したこともあったし、ひと月にどれぐらい書いたかなあ(笑)。



―――浦田先生は、邦楽器による《碧潭(へきたん)》シリーズをはじめ、邦楽作品も数多く作曲されています。


 篠笛と十七絃箏の作品を作曲したのが最初で、その後も度々邦楽器作品を委嘱される機会に恵まれて。
 一連の邦楽器による作品は《碧潭》という同じタイトルにして、順番に「第一番」「第二番」と付けていった。「碧潭」っていうのは、道元のことばに「万古碧潭空界」という句があって、深い意味は理解できないけれど、美しいことばだと思って使っています。
 《碧潭》以外の邦楽作品もあわせると全部で20曲ぐらいあるんだけど、自分でもこんなに作曲するとは思ってなかった(笑)。


作曲家 浦田健次郎(2)




―――浦田先生といえば、合唱曲《大空がむかえる朝》(作詞:あだちやえ 作曲:浦田健次郎)が、この曲を歌わない小学生はいないとまでいわれるほど広く知られていますね。


 あれはね、教科書会社から頼まれて書いたんだよね。ようするに卒業生が歌う歌はいっぱいあるんだけど、“卒業生を送る歌”っていうのが無いからそういうものを書いて欲しいと。
 ある時、大阪のテレビ局から「小学生にアンケートを取ったら、《大空がむかえる朝》が好きな歌のトップに選ばれたから話を聞かせて欲しい」って言われたことがあった。その後、NHKがアンケート取った時もやっぱり同じ結果だったみたい。今はもうどうなってるかわからないけど。

 あと、卒業とは関係ない合唱曲で《風の中の青春》(作詞:芙龍明子)という歌があって、あれもよく歌われてる。



―――浦田先生は、《釘 トントコトン物語》というオペラも作曲していらっしゃいますね。


 佐藤美子さんというソプラノ歌手がいらっしゃって、その方が自費で「創作オペラ協会」というのを創設されたんだけど、そこから委嘱された作品。
 普通にアリア書いてどこにでもあるようなオペラはやりたくないし、なにやろうかなあと思ってたら、たまたま『釘』っていう本を見つけて。
 四つの家族がいて、そこに釘を打つ人が現れる。そのうち「あれはファシズムだ!」ということになって、それに対して各家庭がそれなりの反応を示す。だけど四つの家族が絡むことはない。そういう話をもとに作曲したんだよね。僕が30代の頃だったかな。

 だけどほとんど台詞ばかりで歌が無いし、その頃まだ「引用」なんて言葉がそんなに使われていない時だったんだけど、クラシックのいろんな曲を引用しちゃってるもんだから、後になって誰かが冷やかしで「あれは20年早いよ」って言ってた(笑)。

 実はその後ね、実相寺昭雄さん、あの方がそのオペラ《釘》をやりたいって言いだしたの。実相寺さんが亡くなる少し前ぐらいの頃だったと思うけど。



―――実相寺昭雄さんは、日本人作曲家によるオペラですと黛敏郎さんの《古事記》も演出されていますね。


 どういうわけだかオペラ《釘》をどこかで見たか聴いたかしたみたいなんだよね。
 でも「私の眼の黒いうちは絶対ダメだ!」って断って(笑)。結局やらずに亡くなられた。



―――音楽の考え方として、音響の直接的な効果に主眼をおく、いわゆる音を即物的にとらえる考え方と「音楽は何かを表現する」というロマン的な考え方の二つに分けた時、浦田先生の作品をお聴きすると音を即物的にとらえられていると個人的に感じるのですがいかがでしょうか。


 おっしゃるとおりで、僕は「音で何かを表現しよう」というのは違うと思う。
 あくまで音は音であって、いってみれば作曲っていうのはその音でもってある種の具体的ではないドラマを創るわけだから。
 リヒャルト・シュトラウスだっけ、「なんでも音楽で表現できる」って言ったの。あれはちょっと疑問視してる(笑)。



―――石桁眞禮生先生は“音を即物的に考える”ということはおっしゃっていましたか。

 言っておられましたよ。
 だから「僕は文学的な題名の作品は一曲も書いてない」ってよくおっしゃってましたよね。

 ただ、後年《黙示》というタイトルの作品を何曲か書かれてる。でもそれは文学的な題名の曲を書くのが流行っていることに対する石桁先生の皮肉だと思うんだよね。「黙示」って、意味としては“黙って示す”ということだけだから。






〈T〉/〈U〉/〈V〉






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