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山内 満洲美さん インタビュー

出口寛泰&山内満洲美さん1


【CD「小杉太一郎の純音楽」報道記事】


CD「山内正の純音楽」制作にあたり、山内正夫人の満洲美さんに作曲家 山内正に関する貴重なお話をお伺いしました。


【CD「小杉太一郎の純音楽」報道記事】



―――山内正さんに初めてお会いになったのはどういう経緯からですか。


 私が主人に出会うまでにはちょっと長いんですけど前置きがあるんですね(笑)。

 私の父が臼坂巌といいまして「帝国電子工業株式会社」という会社を設立した人なんです。
 今はもうありませんけど当時は足利の方にも工場があって、中国に白黒テレビのブラウン管とかを輸出したりしてたんですよ。

 私には臼坂禮次郎という兄がいまして、父としては会社をその兄に継がせたかったんですね。だから専門の学校に通わせて電気の勉強をさせたんですけど、父に言わせると「どうも勉強に身が入ってない」みたいで。それで兄を問い詰めたら「実は映画の勉強がしたい」ということが分かったんです。そしたら父も不思議な人で、怒り出すかと思ったら「よし、それじゃあ映画やってみろ!」って言い出して(笑)。

 父は当時、なんだか競走馬を所有してたもんですから、映画会社の大映の永田雅一さんと馬主仲間だったんですね。
 それなもんですから父が永田さんに兄のことを話したら、それじゃあってことになって、兄は大映に助監督として入ることになったんです。後には何本か監督もしたんですよね。

 兄は増村保造監督の助監督をしてたんですけど、どうもその時に山内正に会ったみたいなんです。
 それで兄が言うには、山内正っていう作曲家を初めて見た時に「満洲美をこの人のお嫁さんにしよう!」って思ったそうなんですよ。本当かどうかわかりませんけど(笑)。「正さんみたいなあんな良い人はいない!」とか言っちゃってね(笑)。

 あと、映画の仕事をつうじて兄と仲が良かった、やっぱり後に監督になられる村野鐵太郎さんがたいへん良くしてくださって。
 主人はその時「まだ所帯を持つには収入が安定してないし…」と言ってたみたいなんですけど、村野さんが「そんなことないですよ!山内さん!!」って背中を押したみたいで(笑)。そんなふうにして村野さんが一生懸命取り持ってくださったんですよね。

 村野さんとはずいぶん親しくさせていただいて、この棟方志功の板画も「山内さんには色々お世話になってるから」って村野さんがくださったんですよ。板画っていうのはそう何枚も刷れるものじゃないそうなんですけど、これは本物なんですよね。

映画監督 村野鐵太郎氏から贈られた棟方志功の板画
映画監督 村野鐵太郎氏から贈られた棟方志功の板画



 「うちの宝物だね」と言って、主人も一時期ピアノの前の壁に飾ってました。そしたらいつの間にかこの板画が無くなっちゃったんですよね。「空き巣にでも盗まれたのかなあ」って言ってたんですけど、大掃除をしてたら金具がはずれてピアノの後ろに落っこちてるのが見つかって(笑)。

 なんだか話が飛んじゃいましたけど(笑)、そんなふうにして主人と会うことになったんですね。



―――初めてお会いになった山内正さんの印象はいかがでしたか。


 とにかく周りの人がどんどん結婚の話を進めちゃうもんですからね、印象もなにもなかったですね(笑)。最初はどこで会ったんだかもよく覚えてないんです(笑)。ただ、主人の兄弟がいますでしょ。そのみなさんにご挨拶に伺ったのは覚えてますね。

 とにかく一番上のお兄さんが俳優の山内明さんで、まさか主人がそういう人とは思わなかったので(笑)、ビックリしましたね。

 あと、二番目のお兄さんの久さんは脚本家で逗子に住んでいらっしゃって。久さんの奥さんは立原りゅうさんという方で脚本家の野田高梧さんのお嬢さんでらっしゃるんですよ。野田高梧さんといったら小津安二郎監督の作品をほとんど手掛けられた方ですよね。それでまたビックリしてたんですけど、ある時

「とにかく正は酒飲みだから、暴れるまで飲ませないように満洲美さんに教育をする!」

 って逗子に呼ばれたんですよ(笑)。それでご挨拶がてら伺って

「正はこのぐらい飲ませるとこんな感じになって、ここからさらに飲ませるとこういう状態になるから」

 と教えてもらったんです(笑)。

 それから主人の妹の幸子さんは、小杉太一郎さんの奥さんなんですよね。だから太一郎さんと主人は同い年なんですけど、主人からすると太一郎さんは義理の弟になるんです。

出口寛泰&山内満洲美さん2



―――ご結婚されたのはいつ頃ですか。


 1963年の3月に結婚式を挙げました。
 最初、結婚式はささやかにやりましょうなんて言ってたんですけど、親戚でテレビのプロデューサーをやっていた山内和郎さんという方がなんだかお世話してくださって、東京プリンスホテルでやったんですよね。

 仲人は伊福部昭先生ご夫妻にお願いしました。それでお互いの親族、小杉太一郎さんやお友達の池野成さん、あと主人が仲良くしていた俳優の殿山泰司さんといったみなさんが来てくださったんです。

 あと、そうそう思い出したんですけど、私たちの結婚式に小津安二郎監督と野田高吾さんがみえたんですよ。

 きっと久さんの関係でいらっしゃったんだと思いますね。
 主人は親戚のみんなから「タータ」って呼ばれてたんですけど、小津監督も主人のこと「タータ、タータ」って呼んでました(笑)。


結婚式@
東京プリンスホテルでの結婚式。
グランドピアノの屋根に少しかくれている山内正氏とその横の満洲美さん。


結婚式A
結婚式の余興の一コマ。
ピアノを弾く作曲家 小杉太一郎と合唱に参加する満洲美さん。


結婚式B
ロビーで待機中の小杉操さん(小杉太一郎・母)と作曲家 池野成。



 それで式が終わって、新婚旅行ですとかそういったのが一段落してからは、主人はバレエの《角兵衛獅子》(1963年11月初演)を作曲してましたね。私も出来上がった《角兵衛獅子》の楽譜を届けに上野の東京文化会館へ頻繁に通ったのを覚えてます。当時はもう橘秋子さんが大活躍されてましたから。 



―――作曲する時に使われていたのはこちらのピアノですか。


 そうです。普段はとくに勤め先に通うってわけでもないですから、このピアノで作曲の仕事をするという生活ですね。

山内家ピアノ
数々の純音楽作品、『ザ・ガードマン』『大怪獣ガメラ』などの劇伴がこのピアノから生まれた。



 お話していて思い出したんですけど、息子が小学校の時に“お父さんが仕事をしているところの絵を描いてきなさい”っていう宿題が出されたんですよ。「父の日」とかによくそういう宿題が出ますでしょ。
 それで息子はこのピアノとそれを弾いている主人を描いたんですけど、そしたら月が(笑)、空にお月さまが描いてあったんですよね。



―――ああ、つまり夜中に作曲の仕事をしていると。


 ええ、そうなんです。空に太陽じゃなくてお月さまを描いているというのが私は印象的で。
 息子の友達はお父さんが鉄工所とかで働いているところを描いてて、息子が「みんなと違う絵で困ったな〜」って言ってたのを覚えてます(笑)。ですけど子どもだけによく見ていて、主人の仕事っていうとそういう感じでしたね。
 映画みたいな大きい仕事になってくると、もう写譜屋さんがうちに泊まり込んでパート譜をつくるんですよね。コピーの無い時代ですから。

 あと、映画だけじゃなくてうちでは「新派、新派」って言ってたんですけど、先代の水谷八重子さんのお芝居の音楽を主人はずいぶん頼まれたんですよ。新橋演舞場でやるようなお芝居ですね。ですから先代の水谷八重子さんが亡くなった時には、主人もお葬式に伺ってるんです。

 ちょうど私の母が水谷八重子さんの大ファンでしてね。主人が作曲したお芝居のチケットをいただいたりすると、ものすごく喜ぶんですよね(笑)。そういう時には主人も「一緒に行くといいよ」なんて言ってくれたりして親孝行ができましたね。まあ私はなんにもしてないんですけど(笑)。



―――1965年からは音楽を担当された有名な『ザ・ガードマン』がはじまりますね。


 ええ、あの『ザ・ガードマン』って毎週録音したんですよね。

 他はどうやるのか知らないんですけど、前もっていくつか作曲して録音した音楽を使い回すんじゃなくて、毎回のエピソードっていうんですか、それにあわせた音楽をその都度作曲して毎週毎週スタジオへ録音しに行ってたんです。
 『ザ・ガードマン』はたしか6年以上放送されたと思うんですけど、その間ずっとそういうペースで仕事してましたから。その忙しさっていうのはさすがに私にも伝わってきましたね。
 でも、それを近所のお友達に言いましたらね、

「あら、毎週あんまり違わないように聴こえるけど」

 って言われて(笑)。テレビ見る方にしたら最初に流れるあのテーマ曲の印象がどうしても強いですからね(笑)。


 一時期はこんなふうに映画、お芝居、テレビの音楽と仕事が一気に来すぎちゃったこともあったんです。仕事がものすごくハードでそれでよけい疲れを紛らわすためにお酒を飲むんですよね。



―――山内正さんはまだ53歳という若さで亡くなられていますね。


 とにかく突然でした。

 もともと丈夫な人だったのが亡くなる数ヶ月前から少し疲れやすくなったり喘息気味だったり、なんとなく体調はよくなかったんですよ。でもそんな急に亡くなるとは全然思っていませんでした。

 近所の内科へゆっくり自転車をこいで行ったんですけど、その帰り道で自転車に乗ったまま倒れたんですね。心不全ということでした。
 周りの人に亡くなったってことが信じてもらえないぐらい本当に突然でしたね。

御仏前に御報告1

御仏前に今回のCD制作を御報告。

御仏前に御報告2




―――今回のCD制作についてはどうお感じですか。


 ただただ、ビックリしてます(笑)。


出口寛泰&山内満洲美さん3




CD「山内正の純音楽」制作関連情報


作曲家 山内正 研究活動




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