


吉澤 博寿 氏 略歴 取材/文責 出口 寛泰
日本映画全盛期、映画音楽の録音現場において、スクリーンに映し出された映像にピタリと合わせて指揮を行い、曲を決まった秒数に収める「神様」と呼ばれた指揮者がいた。
その「神様」吉澤 博を祖父にもち、現在、ファゴット奏者として活躍されているのが吉澤 博寿氏である。
これまでインタビューの類にはいっさい応じてこなかったという氏に、この度特別に作曲家 池野成の思い出も垣間見える貴重なお話を伺うことが叶った。

「吉澤さんの思い出」 池野 成

【特別寄稿】
彼の指揮棒にかかれば音楽がピッタリと画面に合う……
映画音楽指揮の第一人者 吉澤 博
ー大塩 一志ー

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祖父の吉澤 博はこれまでに約3,000作品の映画音楽の指揮をやっていまして、元気な頃は何時から何時にあそこのスタジオ、何時から何時はどこというように寝る間も無く働いていました。
私が祖父の仕事の様子を見たというのは、子どもの頃1回だけ見学に行った時ぐらいですね。たしか早稲田のアバコスタジオだったと思います。
祖母は吉澤愛といいましてピアニストだったんですけど、祖父とは武蔵野音大の学生時代に知り合ったんですね。私の母はかつてソプラノ歌手をしておりまして、祖父についての昔のことは母の方が詳しいと思うのですけれど、今、体調を崩しておりましてお会いいただけないのが大変心苦しいです。
母は祖父の一人娘で、さらに私はその一人息子なものですから、祖父は私が生まれた時から凄く喜んでくれて、本当によく可愛がってもらいました。
音楽一家に育ったということもあって、私は小さい時からヤマハの音楽教室などに行ってピアノをやってまして、そのおかげで絶対音感も持っているんです。祖母はピアニストなのでやっぱりピアノの事には厳しいんですが、祖父は私がピアノを練習していると必ず誉めてくれましたね。
その後、高校1年の時にファゴットという楽器を本格的に始めまして、N響の霧生吉秀先生という方やその他にも数人の先生について教えて頂きました。現在はファゴット奏者として活躍しています。
家には音楽家の方々が本当によくいらしてました。私が覚えている方ですと黛敏郎さん、山本直純さん、松村禎三さん、それからオルガンとか鍵盤楽器を弾いていらっしゃる小島策朗さん、あと作曲家の原田甫さんは私が生まれる前から祖父と仲が良くて、家にもよくみえていたみたいですね。
私が生まれる前には家にプールが有って、直純さんが息子さんの純ノ介さんを連れてよく泳ぎに来てたなんてことがあったみたいです(笑)。
それから祖父の武蔵野音大の友人で、ピアニストの舘野泉さんのお父様である舘野弘さんという方もいらっしゃいました。元々はチェリストだったのですけど、その後ピアノに変わられたんですね。私もよく可愛がっていただきまして、一緒に旅行に行ったこともありました。
松村禎三さんは奥様とご一緒に私も本当によくお会いしていたので思い出深いのですが、その松村さんと大変仲が良かったのが池野成さんでしたね。
吉澤 博寿 インタビュー (1)/(2)/(3)/(4)
「作曲家 池野 成 考」