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ompany【 作曲家 池野 成 考 】



祖父と池野さん達のこと



吉澤 博寿 インタビュー



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 子どもの頃から、池野さんのお話しはよく聞いていて、何度かはお目に掛かっているとは思うんですけど、記憶が飛んでしまっていて、ずっとお顔を存じ上げなかったんですね。
 それで初めて池野さんと直接お会いしたのが平成4年の10月だったと思います。

 実は、私の祖母は有名な流行歌手の渡辺はま子さんと2人で横浜学園という学校で音楽の先生をやっていたんです。それで当時、横浜学園の何十周年かの盛大な記念行事で、小説家の中島敦さんが詩を書いた横浜学園の校歌を祖母がピアノで披露することになったんですね。ただ、残っていた校歌の原譜というのが、ピアノで弾くにはひどく難しいものだったので、もう少し弾き易いように誰かに編曲してもらおうということになったんです。それで誰に頼もうかなとずっと考えていたんですね。

 祖父が亡くなってからしばらく経って、原田甫さんが中心になって作ってくださった、祖父の思い出を親交のあった方々に書いて頂いて一冊にまとめた「ヨッちゃん」という本があるんですが、たまたまそれを見ていたら池野さんが寄稿されていたんです。
 その本には寄稿された方々の住所も載っていて、そこから池野さんが府中にお住まいだということがわかったんですね。当時私は八王子に住んでいたものですから、ああ、池野さんならちょうど近くていいかなと思ったんです(笑)。

 それで、恐る恐るといったら言葉は違うかもしれませんけど、まず電話でお話しして、それからお宅に伺いました。
 念のため校歌の原譜を持っていきまして、池野さんとここをこうしたほうが良い、ああしたほうが良いと打ち合わせをして、最終的に編曲の依頼を引き受けてくださいました。確か夜の8時頃に伺って、終わったのが11時半頃だったので3時間以上も打ち合わせに付き合って下さったんです。しかも帰りは池野さんが車を運転して私の家まで送って下さったのですよ。

 当時、私はまだ社会人になったばかりで、世間のこととか何もかも分からなかったんですけど、世の中にはこんなに優しい方がいるんだというのがその時の池野さんの印象ですね。

 あと、印象に残っているのが、打ち合わせ中も結構タバコを吸われて、もう大変なヘビースモーカーでしたね(笑)。

 そして、依頼をしてから1ヵ月後には編曲を仕上げて下さいまして、祖母がピアノを弾いて確かめて、ああこれは分かり易いということで無事に記念行事で披露することが出来たんですね。





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「作曲家 池野 成 考」


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