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吉澤さんの思い出


池野 成



吉澤 博
吉澤 博
(写真提供:吉澤 博寿)




 スタジオ録音の指揮者として吉澤さんの御高名が、何か伝説的な色合いを帯びていたのは御存命中からと言うもおろか、私が学生の頃からだったように思う。吉澤さんが亡くなられた以後、淋しい限りではあるが、この伝説的な色合いは伝説そのものとなって、何時までも機会ある毎に語り続けられるに違いない。


 吉澤さんとお近付きを得たのは、私の場合、偶然のことからだった。芝居の音楽の録音が始まる時で、私が開幕の音楽の棒を下ろそうとした途端に、演奏室のドアが開き、吉澤さんが入ってこられた。まだ一度もお目にかかったことがないのに、その笑顔を拝見した瞬間、何故か私には、この方が吉澤さんだ、と分かった。

 渡りに舟とばかり指揮台を跳び降りて棒をお願いしたところ、何者とも知れぬ私の乞いを吉澤さんはいとも心安く引受けて下さり、そのまま無雑作に指揮台に上がって行かれた。今にして思うと、この時の印象だけでも、まさに吉澤さん的であった、と言うほかはない。もちろん、以後長いあいだに渡ってお世話になったことは言うまでもない。

 大病をなさった時も、大怪我をなさった時も、忽ちにして御本復なさったことからも、私は吉澤さんを、不死身の方、だと思い込んでいたようである。どんな場合でも快活で、ユーモアを絶やさず、驚くべき活力で連日無数の録音を片付けられたあげく、深夜といえど場所を求めて、容易に談笑を止めようとはなさらなかった。仕事と友人、喰べること、即、生きている味を真に愛しておられたことが、吉澤さんの信じ難い活力の源だったと思われる。

 この活力には周囲の誰彼をかまわず捲き込んでリラックスさせてしまう魔力があって、私などは、くたびれ果て、心理的に最低の落ち目の時でも、録音なんかどうでもよい、早々に切り上げて、何處かへ美味いものを喰べに行こう、という楽な気分にさせられる。これが何とも不思議なところだった。

 ユーモアに満ちた吉澤さんの言行について述べるとなれば、その真骨頂を記して下さる方がたは無数におられよう。しかし同時に、私のみならず、友人たちの誰も彼もが、それぞれの状況において、吉澤さんのさまざまな御厚意を心から有難く思っているのであって、亡くなられた現在、暖かい吉澤さんのお人柄が、さらになつかしく偲ばれる。

 吉澤さんが常に若い音楽家たちのために、公私ともに、本当に親身になって心配して下さるよき先輩であったことは、もとより誰もが十二分に知っているはずではあるが、私はそれを何よりも深く、我われの心に銘記しなくてはならないと思っている。

 吉澤さん、有難うございました。心から御礼を申し上げ、御冥福をお祈りいたします。







出典:「ヨッちゃん 吉澤博さんの思い出」 吉澤博さんの思い出編集委員会




彼の指揮棒にかかれば音楽がピッタリと画面に合う……
映画音楽指揮の第一人者 吉澤 博
大塩 一志



吉澤 博寿 インタビュー



作曲家 池野 成 考


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