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小杉太一郎(こすぎ・たいちろう)略歴privacy policy


小杉太一郎略歴


1927年(昭2)
6月6日 映画俳優であった小杉勇の長男として生まれる。
(旧本籍:宮城県牡鹿郡石巻町旭町)

父の勤務地(日活大将軍撮影所)に近い京都市右京区花園で幼少期を過ごす。

1933年(昭8)
京都府師範学校付属小学校に入学。

1934年(昭9)
東京都世田谷区へ移る。世田谷区立松沢小学校へ転校。

この頃からピアノを習い始める。

1941年(昭16)
旧制東京府立第十五中学校(現 都立青山高等学校)に入学。
この頃から作曲に興味を持ち始める。

1944年(昭19)
麻布獣医畜産学校(現 麻布大学獣医学部)に入学。

1946年(昭21)
この頃から独学で作曲法を学び始める。

1949年(昭24)
東京音楽学校(現 東京藝術大学音楽学部)作曲科入学。
池内友次郎氏に対位法及び和声学を師事。
伊福部昭氏に作曲法及び管弦楽法を師事。

1952年(昭27)
第21回毎日音楽コンクール(現 日本音楽コンクール) 作曲部門第二部(室内楽部門)において《六つの管楽器の為のコンチェルト》が第1位入賞。

1953年(昭28) 
卒業を目前にしながら東京音楽学校を中退。東映映画『健児の塔』で初めて映画音楽を担当。

1955年(昭30)
内田吐夢監督作品『血槍富士』の音楽担当を契機に本格的にプロとしての作曲活動を開始。

1976年(昭51)
8月9日 膵臓ガンのため死去。 享年49歳。


作品: カンタータ《大いなる故郷石巻》、舞踊組曲《戰國時代》、舞踊音楽《鷲と少女》、同《杜子春》、同 日本の太鼓第三輯《綾の太鼓》、同《熊の見しもの》、同《トルソー》、同《ラ・トレスカ・バルバラ》、管弦楽《交響楽》、室内楽《六つの管楽器の為のコンチェルト》、同《弦楽三重奏の為の二つのレジェンド》、吹奏楽《吹奏楽の為のルンバ》、同《吹奏楽の為の行進曲》、箏曲《双輪》等。
他に『宮本武蔵』シリーズ(第2作目以降)」(内田吐夢監督作品)、『彫る・棟方志功の世界』(柳川武夫監督作品)等、映画及びテレビの附随音楽多数。

ストラヴィンスキーを敬愛し、世界の民族音楽と楽器(特にアフリカ、中南米、インドの打楽器)に関する資料の蒐集や研究を行う一方、日本民謡の研究にも情熱を注いだが、これらをまとめた著作と翻訳は何れも未完に終わった。

趣味はクレー射撃、狩猟、ボウリング。 他にカメラ、油絵、茶道など。

 

写真提供/略歴作成:小杉家




小杉太一郎 研究活動

CD「小杉太一郎の純音楽」

CD「小杉太一郎の純音楽U」




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