本文へスキップ


 





池野成と弓削太郎


(二)






 作曲家 池野成は、先の吉村、川島、増村、山本の他にも家城巳代治、今井正、岡本喜八、五所平之助、鈴木英夫、古澤憲吾、堀川弘通、三隅研次、吉田喜重、等の日本映画を代表する名匠たちから厚い信頼を得、300本近くの作品に楽曲を提供している。その中で弓削太郎監督作品は、実に30本と他の監督をおさえてダントツに多い。
 別の見方をすれば、弓削がその生涯で監督した劇場用映画38本のうち、30本が「音楽:池野成」なのだ。

 池野先生からうかがった数少ない弓削太郎監督についてのお話から察するに、池野先生は弓削監督の監督としての腕前を買っていた。また、プライベートでも一緒に旅行に行くなどとても親交が深かった。これらのことが弓削・池野コンビ誕生の要因のひとつであることは間違いない。

 映画監督 弓削太郎については別頁の「弓削太郎 略歴」に詳しいが、大映入社後、助監督として下積みを経て、1960年『女は抵抗する』で監督に昇進した。弓削・池野コンビ第1作となる三島由紀夫原作『お嬢さん』(1961年)は、小気味いいテンポの良さが際立った快作。その後、大映が1960年代後半より加速度的に経営が悪化する中でも手堅い演出で作品を手がけ続けた。

 ただ、弓削太郎について触れる時、後味の悪さを感じてしまうことは否めない。というのも弓削は1971年の大映倒産後に消息を絶ち、自害しているのだ。
 弓削の遺体は1973年に発見され、状況から自ら命を絶ったと判断されたものの――発見場所からして諸説あるなど――現在も情報が錯綜しており、自害の理由をはじめ不明な点だらけ。いい加減に断定的なことを述べられないのである。





 残された音楽テープを確認すると、池野先生は弓削太郎監督作品に驚くべきすばらしい仕事を提供していた。
 日本映画が斜陽をむかえると、大映に限らず各映画会社はまっさきに音楽予算を削った。しかし、そのような環境の中でも長年の現場で培ったオーケストレーションの技術で小編成ながらもそのまま音楽として自立し得るような密度の高い仕事をほどこしているのだ。それは経営が傾く中、大映が対策的に量産したきわどいタイトル・内容の作品においてもまったく変わらなかった。  

 しかし、池野先生の音楽が如何に弓削監督の演出と相乗し、効果を発揮したかを探究するには、まだまだ資料・情報が限られている。

 残された音楽テープに記録された池野先生のすばらしい音楽と謎の弓削太郎監督。
 
 そして私は、棚に並ぶ音楽テープを見上げ―――大きくため息をついた。





保管大映音楽テープ






(了)






(一)/(二)




監督 弓削太郎を求めて


弓削太郎監督 略歴


作曲家 池野成 研究活動


inserted by FC2 system