本文へスキップ


 

ompany【 作曲家 池野 成 考 】



我が師 池野 成先生
小倉 啓介 インタビュー




第2回
作曲家 池野 成の一番弟子



 そして到着したのが、自宅から歩いても15分、車なら5分かからない、昔から自転車で横を通るといつも犬が吠えて、ピアノの音が聞こえる不思議なところだなと思っていた洋館だったんです。

 そこで初めて池野 成先生にお会いしました。

 池野先生は後に府中へ住まいを移されるのですが、私が12歳の1969年当時は、東京のひばりヶ丘にお住まいでした。
 実は私のピアノの先生が池野先生の御家族の方とお知り合いで、そのつながりで紹介してくださったんです。



作曲家 池野 成(1969年頃)
作曲家 池野 成(1969年頃)


 池野先生の最初の印象は、人当たりがソフトで物腰が柔らかくて腰が低い、とにかく親しみ易い人だなという事だけで、逆に作曲家というイメージは、特に持たなかったですね。
 ただ、その後仕事場や実際の仕事の様子を見た時には、凄いプロだなこの人は、とやっぱり思いましたね。
 


国立音楽大学附属中学校時代の小倉氏(1) 国立音楽大学附属中学校時代の小倉氏(2)
国立音楽大学附属中学校時代の小倉氏(写真左)同級生とともに。



 それで和声のレッスンなんですが、私のピアノの先生が、生徒が私1人だけだと月謝もたいして取れないし、せっかく時間を割いて頂くのに申し訳無いと気を遣って、ご自分のお嬢さんと、もう1人ピアノの生徒の男の子を紹介されて合計3人でレッスンを受けることになりました。

 ピアノの先生のお嬢さんなんかは事前に色々、和声というのはこういうものだとか、いろんな話を聞いているわけですけど、私は何の知識も無くていきなり行ったもんですから、とにかくもう劣等生でしたね。

 最初の授業でいきなり和声の三和音の構成を紙に書かれて、

「これどういうふうに配置すると良い音がすると思いますか」

 っていきなり言われて。で、もう訳が分からなくて何か適当な事を書いたのを覚えてますね(笑)。



和声レッスンノート表紙 レッスンノート第1ページ
小倉氏の和声レッスンノート表紙(左)と記念すべきノート第1ページ(右)



 これが当時のレッスンノートですね。この第1ページ目がもうほんとに最初の手ほどきだと思うんですよ。
 有名な和声学の教科書の第1巻の最初の部分から説明していただいた後に

「配置してみてください」

と言われて、配置してみると、

「こういうのを“連続”っていうんです」

ってこう赤線引かれてね。もう全部言葉で教えてくださるんです。


 つまり、教科書が結構難しい漢字で書いてあるから、あんまり読まないんじゃないかと思われたらしくて、このノートへ教科書に書いてある規則を、全部説明して書いてくださるのですよ。そして次の課題を、私がノートに写して次のレッスンまでにやってくるという流れなんです。

 でも、だいたいこの程度の和声のレッスンなんていうのは1人15分ぐらいで終わっちゃうものなんです。だから他の2人はもうとっとと帰っちゃうんですけど、私だけはいくら持って行っても、あれも違うこれも違うで赤線だらけになって、ちんたらちんたら同じ事繰り返すもんですから、池野先生がおそらく他の2人と私のレッスンの日を分けたんですね。

 気がついたらいつの間にか私1人でレッスンに行くようになってました(笑)。


 それからしばらくしてある時に、

「他の人はどうしてますか?」

と聞いてみたら

「ああ、あの子達は辞めました」

と言われたんです。


 もう1人いた男の子はとにかく優秀で、習ったその日からどんどん進んでいって、3ヶ月ぐらいで教科書の第3巻まで入っちゃったんですよ。それで池野先生があまりにこれは出来過ぎだ、これは何か解答を見て書いて来てるんじゃないかと思って、テキストを変えたりしてやってたんですけど、結局あんまり頭が良すぎて簡単なもんだから馬鹿馬鹿しくなって音楽の道へは進まずに、その後、東大へ進学して理系の研究者になっちゃいました(笑)。
 
 
それで結局最後まで残ったのが私だけだったんですね。


 そもそも和声のレッスンに身が入らないのには大きな理由がありまして、レッスンは池野先生のお部屋で受けていたんですけど、その初めて見るプロの仕事部屋というものが私にとって面白くてしょうがないんですよ。

 傾斜のついた譜面書き用の製図机や数十本の鉛筆、とてつもなく大きなやつから数種類のサイズの違う消しゴム、他に定規、芯削り、写譜ペン、羽根ペン、などの筆記用具。そして書きかけのあらゆる段数の五線紙や、ボロボロに書き込まれたオーケストラのスコアとか、そっちにものすごく興味があって、もうとにかく和声のレッスンそっちのけなんですよ(笑)。池野先生が1人で説明している間中、半分聞いてないで(笑)「あれなんだろう?」と思いながら見ててね。で、レッスンが終わると先生に「あれ何ですか?」って手当たり次第に質問ばかりしていました。それでも先生の方もあきれながら面白がって色々と見せて下さいましたね。


小倉氏の仕事机(1)
作曲家 池野成が使用していた製図机に影響され購入した小倉氏の仕事机。

小倉氏の仕事机(2)
小倉氏は今でも楽譜を書く時は、パソコンソフトを使わず、この製図机で手書きしている。



 ですから、私にとってはレッスンの後がメインなんです(笑)。レッスンが終わってもすぐに帰りたくなくて2時間でも3時間でも居て、オーケストラの話を聞いたり、念願だった移調楽器を含むスコアの読み方を教わって、今まで謎だったことが氷解したりで面白くてたまらないわけですね。

 やがては、池野先生のお宅が私の家からちょうど駅へ向かう途中に有ることもあって、レッスンの日まで待ちきれずに質問やスコアを持って、学校から帰ると、ほとんど毎日ゲリラ的にお邪魔するようになりました。勉強じゃなくてね、もうとにかく話しに行くんですね。それで面白い曲が見つかるとその譜面を持って先生のところに行ったりもしてましたね。


 先生の仕事部屋は、真ん中にグランドピアノ、その下にチェロが置いてあって、その横にテーブル、奥に本棚がずらっとならんでいるんですが、そのピアノの裏側に、作曲で徹夜した時に使う仮眠用のベッドがあるんですよ。
 ある時、例によって突然お宅にお邪魔して、先生のお部屋にいってみると、誰もいらっしゃらないんですね。だから勝手にピアノをバンバン弾いてたんですけど、本棚からスコアを出そうと思ってフッと見たら仕事明けの先生がそのベットで爆睡しててギョッとして(笑)。

 別の時には、お部屋に入った瞬間、もう机に向かっている後ろ姿から作曲の真っ最中だということがわかって、「あ、まずい」と思ったんですけど、気づかれちゃって

「ああ、やって来ましたね」

なんて徹夜で充血した目でおっしゃって、パッとその仕事を中断されてね、ずっと私の相手をしてくださるんですよ。


 そういう中で

「小倉君、こういうの好きなんじゃないかな」

と、ラヴェルやストラヴィンスキー、ファリャやプロコフィエフなどの一連の作品を譜面を見ながら全部聞かせてくださって、

「ここはこういうハーモニーで、」
「ここはこういう具合に、こういう手順で作曲されています」
「この曲はこういうオーケストレーションで・・・」

とレクチャーしてくださるんです。

 最初の頃、先生は私が指揮者志望だと思っておられたと思うのですが、そのうち、
「あなたならこういう音を使ってどういう風に譜面にしますか?」

とか、

「スコアのこの場面を、作曲された時の最初のデッサンに直してみて下さい」

とラヴェルやドビュッシー、時にはベルリオーズ、ワーグナー、と様々な作曲家のスコアの断片を与えられて、私が自分なりに出来上がると、池野先生のされたもの、そして実際のオリジナルとをそれぞれ比べてみるという、今考えてもとても興味深いレッスンを時々してくださるようになりました。そのお陰でいつの間にか自分なりに小片のデッサンや自分の譜面を書く真似事をするようになったんです。和声学の不出来具合は棚に上げて、ですけどね(笑)。


 そんなレッスンの日々の中で、特に忘れられないのが池野先生の映画音楽録音のスタジオへ一緒に連れていって下さったことですね。




第3回 作曲への感興



我が師 池野 成先生 小倉 啓介 インタビュー



inserted by FC2 system