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探訪 小杉太一郎

―日活篇―



宮澤 利徳 インタビュー



(2)


 小杉さんの印象ですか?もうあんな良い人いませんね。とにかくね、鉄砲(クレー射撃&狩猟)が大好きだったんですよね。それから、銀座に河豚を食べさせる店があって、今のマガジンハウスがある通りなんですけど、そこによく食べにつれて行ってくれました。小杉さんはその店の常連で、そこへ行くとね、もう鉄砲の話ばっかし(笑)。その頃はもう齋藤武市監督と組んで『ギターを持った渡り鳥』シリーズとかで一番忙しい時でしたね。

「馬橋国際射撃場」にてクレー射撃に興じる小杉太一郎
「馬橋国際射撃場」にてクレー射撃に興じる小杉太一郎



 『大氷原』(1962年 監督:齋藤武市)という北海道の海にまつわるストーリーの映画があって、小杉さんが作曲したんですが、これは映画音楽としては本当にすごいものでした。私としては小杉さんの音楽というと、とにかく『大氷原』の音楽がすごかったことが一番強く印象に残ってますね。それから、これはもう小杉さんの最後の方の仕事になると思いますけど、日活のプロデューサーだった柳川武夫さんが監督した、棟方志功の記録映画『彫る 棟方志功の世界』(1975年 毎日映画社/美術映画製作協会)ですね。これは映画自体がいろんな賞を受賞したんですけど、とにかく音楽の評判が良かったですね。

 小杉さんの映画音楽の特徴としては「民謡」を取り入れることがよくありました。そもそもお父さんの勇さんが民謡大好きだから。勇さんが監督した『東京五輪音頭』(1964年)という映画に三波春夫さんを出演させてね、ダビングの時に三波さんに民謡を唄わせたんですよ。それで勇さんが「本当の民謡というのはこういうもんだ」ってスタッフに言ってね、みんなもすごいなあって聴いてたんですけど、それから間もなくして三波さんの《東京五輪音頭》のレコードがどんどん売れちゃったんですよね。さすがに勇さんには見る目があったんだなあって後からまた感心しちゃったんです。

 小杉さんは楽譜の締め切りには間に合うほうでしたよ。とはいっても、とにかく何本も重なって映画音楽を担当してるもんだから、録音現場に持ち込んでまだ写譜してるなんてことはしばしばありましたけどね。でも、どんなに遅くても録音当日には間に合わせてくれました。

「アオイスタジオ」にて仕事中の小杉太一郎
「アオイスタジオ」にて仕事中の小杉太一郎



 音楽の楽器編成の大きさも作曲家と私とで話し合って決めるわけですけど、小杉さんの場合はドンと大きい編成を希望されることが多かったです。日本映画全盛期の頃ですけどね。伊福部さん、芥川さん、黛さんあたりもたいてい大編成でした。
 録音は大編成でも基本的には日活の録音スタジオで録ってました。でも、大編成だと反響が有り過ぎちゃって録音エンジニアの方は非常に苦労したみたいです。ですから場合によっては世田谷公会堂とか杉並公会堂なんかを借りて録音したこともありましたね。
 その最たるものが、吉永小百合さん主演の齋藤武市監督作品で何かヴァイオリンに関係する内容の映画があったんですけど、この時には、小杉さんが弦楽器をよく使うということもあって、公会堂を借切って東京フィルハーモニー交響楽団の弦楽器奏者全員を使って録音しました。弦楽器奏者一人あたりのギャランティーっていうのはそう高くはないんですけど、弦っていうのは大勢いないと音が様にならないんで揃えるのが大変なんですよ。
 伊部晴美さんっていう作曲家がいましたけど、この人は大きい編成の時ももちろんありましたが、どちらかというと小さいほうです。もうコンボオルガンとシンセでやっちゃうとかね。

 それから、小杉さんはダビング録音の指揮がとっても上手なんです。普通の指揮と違って、映画の画面に音楽を合わせなくちゃいけないんでとても大変なんですけど、小杉さんはそれを全部自分でやっちゃうんですよ。 
 芥川さんも楽曲が少ない時には自分で指揮されてましたけど、それ以外は吉澤博さんにやってもらってましたね。黛さんはたいてい吉澤さんにお願いしてました。團さんも吉澤さんでしたね。たまに小杉さんも自分で指揮するのがしんどい時があって、そういう時にはやっぱり吉澤さんにお願いしてました。





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