本文へスキップ


 





連れサロメ



さ夜中と 夜は更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空に 月渡る見ゆ 「万葉集 巻9‐1701」



 「5日に松村さんがこっちに来るっていうんですよね」

 2004年の5月はじめ、池野成先生が私に言った。
 同年1月、池野先生は移住先のスペインで奥様を亡くされ3月に帰国。
 病を患っていた池野先生の身の回りのお世話をしに弟さんが群馬から出てこられたが、弟さんが一時帰宅される時には、当時池野宅から電車で10分のところに住んでいた私が代わりにお手伝いにうかがっていた。

 聞けば、池野先生の長年の友人である松村禎三氏より、音楽を担当している演劇『雁の寺』(作:水上勉)のリハーサルを見に府中の森芸術劇場へ行くので、それが終わってから一緒に会わないか、と電話がかかってきたという。場所は松村氏が最近見つけた甲州街道沿いのスパゲティ屋。
 5月5日といえば「こどもの日」なので日付が印象深く記憶に残っている。私が池野先生の車を運転し、スパゲティ屋へ向かった―――。


 スパゲティ屋の駐車場に着くと、寺山偏陸氏が運転される車で松村氏もちょうど到着されていた。
 私は松村氏にこの時初めてお会いした。手押しの酸素吸入器を常時装着されている姿は痛々しいものの、その声や笑顔からはとてもお元気そうな印象を受けた。 

 店内は混んでおり、店員に入り口近くの椅子で待つよう促される。
 松村氏が私の隣に座った。
「何か音楽をされるのですか?」
「いえいえ、私は鑑賞専門です」
 池野先生が
「ブルガリアの女声合唱のCDを薦めたらおもしろがってしょっちゅう聴いてるんだよね」
と言って、ちょっと笑った。
「ピアノ弾かれてみたらどうですか?それで一通りやってみてピンとこなかったらやめちゃえばいいんだから」
と松村氏も笑った。

 テーブルが空いた。私から見て左隣に寺山氏、正面に松村氏、左斜めに池野先生が座り、各々、好みのスパゲティと「そら豆のスープ」を注文した。

 私は松村氏の作品でまだ聴いたことがない《管弦楽の捧げ物》(1989)についておききしてみた。どういった経緯で書かれた作品なのか。
 松村氏は、《管弦楽の捧げ物》はオーチャードホールのオープニング記念委嘱作品であること、初演の出来が意に沿わなかったこと、しかし指揮者の山田一雄氏からは「いくつか委嘱した作品の中でも君の曲が一番良い!」と言われたことを話された。
 ふいに松村氏が「最近、幽霊を見た」と言い出した。あるホールのロビーの椅子に腰かけ、ふと見ると目の前に男性が立っている。あれ?さっきまで誰もいなかったのに……、と思っているとその男性はスーッとゆっくり消えていったのだという。
「黛(敏郎)さんも幽霊を見たって言ってたね」
 池野先生が相槌を打つ。

 スパゲティと「そら豆のスープ」が運ばれてきた。

「初めて池野先生に会った時の印象はいかがでしたか?」
 松村氏は即座に、
「池野さんの周りには風が吹いてました」
 池野先生は聞こえているのかいないのか、ややうつむき加減で石のように動かなかった。

 『雁の寺』の話になった。
 演劇『雁の寺』の音楽は松村氏が担当しているが、映画『雁の寺』(1962年 大映 監督:川島雄三)は池野先生が作曲している。
「僕の音楽はたいしたことないんだけど、池野さんの『雁の寺』の音楽は良いんだよねぇ」
 今度は聞こえているのか池野先生はまゆ毛を「ハの字」にしてこの世の終わりのような顔をしていた。そしてやはり微塵も動かなかった。

 池野先生と松村氏が話し出した。

「昔……夜……夜中……………………」
「…野原……………二人………………」
「……………月……………満月………」
「月…大きい、月……サロメだ………」
「連れ……………ハハハハハハハ……」
「……連れサロメ……フフフフフフフ」

 隣り同士でやっと聞こえるぐらいの声で話しているため聞き取りにくい。
 どうも話を要約すると、飲食店ではいささか尾籠な話だが、昔、夜中に二人が尿意をもよおし、野原でいわゆる“連れション”をしていたところ、あたかも戯曲『サロメ』のごとき巨大な満月が出ており、

「こりゃ、“連れション”じゃなくて“連れサロメ”だね」

 と笑った、ということらしい。 

 しばらくして、松村氏がにわかに伝票をつかんだ。
 それを見た池野先生がラグビー部仕込みのタックルの勢いで伝票をうばおうとする。松村氏はすかさずヒョイと真上に持ち上げかわす。さらにうばいにかかるも真横にヒョイ。真下にヒョイ。また真上にヒョイ。
「とんでもない!君にはいつもお世話になっているんだから!」
「タックル」と「ヒョイ」の応酬は、とても病人とは思えないようなスピードで展開された。
 呆然とその光景を見ているうちに、いつの間にか伝票は池野先生にうばわれ、結局、全員の食事代を池野先生が支払ってしまった。

 駐車場で車に乗り込んだ松村氏と池野先生が握手される。松村氏は私にも手を差し出してくださった。握手をして間もなく松村氏の車が動き出す。

 スペインから帰国された池野先生と松村氏がお会いになったのは、これが最初であり最後だった―――。


 翌日、池野宅の台所には近くのスーパーで買ってきたと思われる「そら豆」が山のように積まれていた。
 「そら豆のスープ……、これがあったんですよ」
 そら豆のスープは体調がすぐれず食欲が無い時でも食べられるため、スペインに住んでいた頃はよく作っていたとのこと。昨日、スパゲティ屋でそのことを思い出した池野先生はさっそく作成に取り掛かっていた。
 さやからそら豆を取り出し茹でた後、薄皮をむきミキサーでペーストにする。鍋に移し、コンソメ、水、生クリームを加えて味をととのえる。池野先生は、ざるいっぱいに茹でたそら豆一粒一粒の薄皮を黙々とむいていた。

 私は手伝う準備をしながら改めて池野先生に言った。
「昨日、松村さんが“池野さんの周りには風が吹いてました”っておっしゃってましたよ」
 一瞬、そら豆の手を止め

「………いったい何を言ってるんでしょうね」

 池野先生はそう言って、ちょっと笑い、再びそら豆をむきだした。   



 以来、満月を見るとその下で二人の作曲家が「連れサロメ」をしている。



池野成&松村禎三
池野成      松村禎三

(撮影:小杉太一郎 1956年8月小杉宅にて)




「池野成を偲ぶ」松村禎三

「10年前」

「モロゾフのチーズケーキ」

池野成 研究活動



inserted by FC2 system