池野成先生に初めてお会いしたのは、松村禎三先生から、御自身がプロデュースされる演奏会で、池野先生の《EVOCATION》を演奏してもらえないだろうかというお話をいただいたのがきっかけですね。
池野先生の印象は、これほど世の中を超越してる方がいるのか、ってビックリ仰天しましたね。生まれたまんまというか、もう全然汚れてない。それでいつも「いやー、いやー、とんでもない」って丁寧で、しかもそれがわざとらしくないでしょ。
そういう印象の方が、あのダダン!ダン!ダダン!っていうエネルギーの塊みたいな《EVOCATION》を書かれるという、そのコントラストはすごいですよ。
作品を演奏するとなると作曲者から注文がきたりするじゃないですか、でも池野先生はそれもほとんど無くて、《EVOCATION》の時には、できるだけエネルギッシュな演奏をしてほしい、っていうイメージをお伝えくださるぐらいで、あとは何かおっしゃってくださいって言っても「いやー、いやー」ですからね。そうなるとこちらとしてはもう精一杯演奏するしかないですよね。池野先生を裏切れない、いい加減なことはできない、っていう思いで演奏しました。 池野先生は「思ったことをやってくれている」という感じで聴いてくださっていたと思います。
考えてみると、当時、僕らの打楽器アンサンブルは、池野先生の《EVOCATION》をはじめ、他ではやってない作品を演奏してますね。
打楽器奏者っていうのは、大学を卒業するとソロとか打楽器のアンサンブルをする機会っていうのはなかなか無いんですよね。だから在学中に出来るだけいろんな体験をしたほうがいいんじゃないか、と僕は発想したんです。
そういうことから在学中に演奏会をやって、みんなとアンサンブル出来る大きな曲を積極的に取り上げました。しかもその中でレベルの高い演奏が出来たっていうのは、その学生達にとって、ひとつのステイタスだと思うんです。ただ試験で上手に演奏出来たとかいうことよりそっちの方が大事ですよね。
ですから今回、その演奏の録音が残っていて、さらにCDになるというお知らせをいただいた時は大変うれしかったです。
《TIMPANATA》を池野先生に書いていただいたのは、1977年に東京藝術大学が創立九十周年ということで教官も出演する記念演奏会を開催する、なんだかそういうことになって、それがきっかけですね。僕が東京藝術大学常勤を許可されて間もない頃です。
その頃、大学で教えてはいるんだけど、自分自身がプレイすることは少なくなっていた先生方が何人かいらしたこともあって、「有賀君やってよ」となったんですね。
当時、僕は現代物の曲ばかり演奏してたんですけど、めぼしい作品が無くて、ちょうどその年のはじめに《EVOCATION》を演奏していたこともあったので、打楽器と管楽器のノリの良い作品を書いていただけないか池野先生にお願いしたら「いいですよ」とおっしゃってくださったんです。
藝大は「材料費」という名目で、実質的な五線紙代ぐらいしかお金は出せないということだったので、それに僕が個人的にいくらかプラスして委嘱したんですよね。忘れられないですね。
それで《TIMPANATA》を書いていただいて。最初のリハーサルは演奏しながら興奮しましたね。初演が終わると「面白かった。よかった」って、あちこちから評判が良くて。
この時の演奏も今回CDに収録されるっていうんで驚いているんですけど、それは本当にうれしいですね。
いろんな打楽器アンサンブルの曲がありますけど、池野先生の作品が一番わかりやすい。むずかしい理屈何もいらないですから。
演奏する方も書いてあるとおり演奏すればいい。あとは音色だとか細かいニュアンスのイメージを突き合わせていけば、自然とプレイヤーの自発性が発揮されるじゃないですか。それもわかりやすい曲だからこそ出来ることですよね。
僕は滅多に自分の演奏を聴きなおすってことをしないんです。でも今回の録音を聴かせていただいてもうビックリしちゃって。
こんなにわかりやすくてノリの良い作品は最近演奏してない。もっと大いにこういう作品を演奏するべきだと思いました。
池野先生は、本当に純粋な方でした。(談)