クラヴィオリンは、鍵盤部とスピーカーからなり、双方とも中に真空管を有している。
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2020年現在、写真のクラヴィオリンは故障のため、音が出ない状態です。
クラヴィオリンの音域は、鍵盤だけ見るとアコーディオンと同じような音域なんだけど、オクターブ上げたり下げたり出来る機能が付いていて、それだけ広い音域が弾ける、ということもあったりで、「それじゃあ、アコーディオンはやめてクラヴィオリンにしよう」となったんです。
それで練習を始めたら、クラヴィオリンの鍵盤っていうのは見ればわかるけど、幅も奥行きも小さくて、黒鍵なんて弾く時に滑り落ちるぐらい小さい。これを弾きこなす独特の手付きは本当に難しいよね。
そうしたら日本は何でも流行りものだから、昭和31〜34年にかけて、とにかくクラヴィオリンが流行ったんですよ。
ビクターの吉田正さんが自分の作品全部にクラヴィオリンを入れるとかね。それで《有楽町で逢いましょう》や《再会》とかが大ヒットでしょう。
だから、あんまり昭和30年代に売れて稼いだもんだから“やっかみ”が有ってね。「そんなインチキ楽器やりやがって」とか言われたことがあったけどね。「インチキ楽器だ」っていう人がずいぶんいたね。でも、インチキ楽器なんかじゃ決してないですよ。
「クラヴィオリン」の名前の由来は、“鍵盤”という意味の「Clavier」っていう言葉から来た、という説と、クラヴィオリンを作ってるメーカーが「LONDON SELMAR」っていうクラリネットをつくるところで有名な会社なんだけど、クラヴィオリンの代表的な音色が電気的なクラリネットの音とヴァイオリン系統の音だから、クラリネットとヴァイオリンを合わせて「クラヴィオリン」だ、という説の2通り有るんですよ。僕は多くの人がそう言ってるように、後者の方が合ってるような気がするんだけどね。
日本で初めてクラヴィオリンを個人で買ったのは、たしか作曲家の黛敏郎さんだったと思いますね。その後ずいぶん買ってる人がいましたよ。
今、僕が持ってるこのクラヴィオリンは3台目でね。最初は田端さんのバンドから買い取ったものを持ってて、その次に何かで買い換えて、そしたらそれが盗まれて無くなっちゃったんだよね。それで今のクラヴィオリンになったんです。
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