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小杉太一郎 作曲

《ラ・トレスカ・バルバラ》

全パート譜 発見

小杉太一郎 作曲《ラ・トレスカ・バルバラ》(1953) 全パート譜 発見
《ラ・トレスカ・バルバラ》(1953) 総譜(左)と発見されたパート譜(右)



 この度、小杉家におけるSalida調査により、小杉太一郎 作曲《ラ・トレスカ・バルバラ》初演(1953年2月3日「第16回火曜演奏会」於:東京藝術大学音楽学部奏楽堂)で使用された全パート譜が発見されました。

 《ラ・トレスカ・バルバラ》の総譜は、既報どおりすでに発見されていましたが、削除指定やその他書き込みなど、不明箇所が多々あり、実演は困難な状態でした。

《ラ・トレスカ・バルバラ》総譜書き込み(1)  《ラ・トレスカ・バルバラ》総譜書き込み(2)

《ラ・トレスカ・バルバラ》総譜書き込み(3)
《ラ・トレスカ・バルバラ》総譜に残された書き込み。




 今回のパート譜発見により、全パート譜から改めてスコアを再構成し、ついにその全貌が明らかとなりました。

 なお、《ラ・トレスカ・バルバラ》初演の様子は、永冨正之氏による特別寄稿『小杉太一郎さんと私』内に記されています。

 フランス近代音楽などの様式を盛り込んだ《六つの管楽器の為のコンチェルト》(1952)が、第21回毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門室内楽曲第1位入賞。
 これにより楽壇デビューを果たした作曲家 小杉太一郎は、続く《弦楽三重奏の為の二つのレジェンド》(1952)、《ラ・トレスカ・バルバラ》(1953)で、より日本的・民族的なスタイルに足を進め、後に小杉自身

「《弦楽三重奏の為の二つのレジェンド》《ラ・トレスカ・バルバラ》等を機に、日本の民謡研究に進む」
(《カンタータ大いなる故郷石巻》初演コンサートプログラムより)

 と記しています。

 以後、この延長上に小杉は自己の様式を創り上げ、《交響楽》(1953)、そして映画音楽へと展開していきました。

 《ラ・トレスカ・バルバラ》の全容解明は、作曲家 小杉太一郎創作活動の歩みの空白が埋められることを意味します。


1953年2月3日「第16回火曜演奏会」プログラム
1953年2月3日「第16回火曜演奏会」プログラム
(画像クリックで拡大)




 1953年2月3日「第16回火曜演奏会」(於:東京藝術大学音楽学部奏楽堂)プログラム(拡大)
 《ラ・トレスカ・バルバラ》初演で打楽器をつとめたのは、後に指揮者として活躍する岩城宏之氏。
なお、コントラバスは本番では3名に増員されており、その追加メンバーの中には当時藝大学生オケでコントラバスを演奏していた後の作曲家 池野成がいたことが、発見されたパート譜と初演に立ち会った永冨正之氏の証言により判明している。









『小杉太一郎さんと私』永冨正之


作曲家 小杉太一郎 研究活動


CD「小杉太一郎の純音楽」


CD「小杉太一郎の純音楽U」






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